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みかん畑にあがる、縁側で苗をそだてる:まもなく春をむかえるころ
(2024.2.5加筆)
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はじめに
かろうじてのこるはっさくとあまなつの果実を収穫するのにみかん畑にあがった。すでにおとなりの白梅は満開。うちのしだれの桃色の梅は5分咲きで一番の見ごろを迎えている。つぼみの丸いふくらみがかわいらしい。
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つい先日、正月だったのに。もう2月。まわりをみわたすと春の足音が聞こえてくる。
きょうはこんな話。
白梅が満開
ことしの梅などの花の時期は例年とちがいをさほど感じないが、1月の気温はあがったりさがったり極端。ぽかぽかな日があった翌日には寒気がやってきた。このあたたかな陽気にうっかり種をまかなきゃとかんちがいしそう。
ひさしぶりの収穫ののこりのあまなつの収穫にむかう。採りたてはすっぱいがそれが好み。ほとんど酸味しかかんじないようなものをほうばるわたしをまわりのヒトビトはけげんな顔で見る。このところ歯の調子がいまいちなのはそのせいかも。
きいろい果実をはさみで収穫しながら、足もとにはやわらかな若葉が低くしげりはじめている。このみかんばたけはまわりを木々に囲まれ、つめたい山と海からのいずれもの風をいなしてくれる。まさにひだまり。
苗づくりの日々
やさいづくりをやっていたころならば、畑の荒起こしやたい肥入れの時期。梅が咲いたらさといも畑の準備しはじめるとめやすをつけてうごいていた。
さほどあわてなくてもよいが、これとはべつにすこしだけチャレンジをこころみていた。当時、購入済みの夏野菜の種子、とくにピーマン、トマト、なす、ししとうを1月ひと月かけて種まきトレイに播いて育てていた。それにビニール袋に入れ(空気が通るように封をせずに)車のなかへ。
車を庭のかたすみのいちばん陽のあたる東がわにいつも置いていた。車内が一日中あたたかだと気づいた。まえの年からはやめの種まきに車のなかへトレイをもちこむ。しっかり動かないように後部座席の足もとに固定。
あとは発芽を待つばかり。
発芽後は
霧吹きでしめりけを確保しつつ、発芽が確認できたら陽あたりのよい縁側へ。発芽には陽のひかりはいらないが、発芽して以降は光合成のために光がかかせない。まだ正午でも太陽は低い位置。縁側をこえて客間の3分の1ほどまで陽がはいる。
植物だけでなくわたしも冬のあいだはこの場所がお気にいりだった。冬から早春にかけてはこの縁側を日中しごと場ときめていた。1間幅の広縁にしたのは正解だった。つくえを置いてもストレスなくわきを抜けられ、ほぼリビングとして使えた。
おわりに
ここでなにやかや家事やしごとをしながら、かたわらのビニールにかこまれた苗たちのようすを見る。ごくか弱い若葉がほんのすこしずつ大きくなる。土の表面がかわいていないか、きりふきを手にひとつずつ見ていく。
これらかぼそい苗がやがて夏のまぶしいぐらいの光線のもとで似つかぬたくましい茎やヒトの顔ほどもある葉を展開するなんて思えない。
以前のくらしは作物や植物にかこまれてすごしていた。日々生長するのは植物のほう。かたやわたしのほうはたしてすこしでも進歩があるのやら。
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