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僕は「読書」という重荷をおろしたい。

「読書」という言葉に重みを感じる人がいるだろう。本を読むのだるい。集中力がいる。そんな印象を持っているのではないだろうか?

これまでに、たくさんの「読書の仕方」や「読書の影響」などが語られてきた。例えば、本は全部読まなくていいとか本を読んでいる子は頭がいいとか。こんな迷信に迷い込んだあなたは「読書」に対する壁で阻まれているだろう。読み始めたはいいけど、1冊が終わるまでに飽きてしまうなんて、よくある話だ。

そこで、僕は「読書」という重荷をおろしたい。

それも、僕が、最初は全く本を読まなかった人間が、大学生になり、いきなり多くの本を読み出したからだ。現在では、本に関するnoteを書いたりinstagramでの投稿をしたりしている。そして、オンラインコミュニティなんかもやってみてる。

この記事は、途中、「読書ってやっぱり重いじゃん」なんて思うかもしれない。そうなりたくなければ、
「「読書は良いもの」とは限らない」と「僕は「読書」という重荷をおろしたい。」という題目だけ読んでいただければいいと思う。

目次

「読書はいいもの」とは限らない

断言する。「読書はいいもの」という思い込みはやめた方がいい。その理由を語る前に、まずは読書のメリット・デメリットをお話ししよう。

読書のメリット

読書のメリットはなんとなく、ご存知の方が多い。それは何かと言えば、

読書のメリット

などである。あるあるだろう。これを子供がしていたら、確かにものすごい吸収力で利口的にはなれる。ただ、ここで注意しておきたいことが、"1冊を読むようでは全く意味がない"ということだ。
→知識が多くなるのも1冊だけでは意味がない。
→世界が広くなるのは、1冊だけでは不十分すぎる。
→まとまった情報とは言え、1冊では偏りがある。
→さまざまな意見を取り入れるには1冊じゃ足りなすぎる。
このように聞くと、何冊も同じような分野を読むべきなのか?となるが、それは全くその通りである。

ここで、読書のデメリットを書いておこう

読書のデメリット

デメリットは明確には言えない。なぜなら、人によるから。読書が物凄くいいと感じている人の多くの特徴をここで挙げてみる。

読書のデメリットとそれがどうなるのか?

このような特徴を含めたいわゆる"読書信者""自称読書家"みたいな人が増加している。これらの何が悪いのか?悪くはないが、よくもないこともある。噂と洗脳によって、「読書がいい」というのは、妥当性はあるが、懸念点もあることは忘れてはならない。


「読書」=「情報集め」

読書は良い面と悪い面があることがお分かりいただけただろうか?そこで、活字中毒や読書信者、自称読書家というのは本質的には、何も得ることのできていない、"空っぽな読書"にならないようにするにはどうした良いのか?

"空っぽな読書"ほど満足感を得れる

空っぽな読書は、読んだ!とか、賢くなった!とかという満足感が満たされるものだ。本当の読書は、疑問や意見が生まれるべきものだと僕は思う。これは、ゲームに課金して強くなったつもりになることや勉強時間を意識しすぎて勉強した気になっているのと同じようなことだ。

課金によってキャラは強くなるが、自分本来のテクニックが磨かれないことなんてよくあるだろう。プロゲーマーたちは、課金した上でテクニックも磨いていたりするのだ。ずるではない。むしろ真っ当だ。全く"空っぽな読書"も一緒で、本に課金をして読んで、自分というキャラが強くなったように見せかけて、テクニックは何も得れていないために成長していないということだ。

しかし、それが意外と満足感を生んでしまうのだ。そんなの残酷だ。

本質的に最高の読書

僕自身が普段から意識していることが2つある。

  • 本を読むのではなく、情報を集める意識であること

  • 本を読んだ成果をどこかで発揮すること

の2つである。物凄く簡単に言えば、インプットとアウトプットの意識である。なんだよ、この記事を読んで損した。と思ったあなたには待ってほしい。この2つがどれだけの意味を成すのかをここからお教えする。

まずは、最近、僕自身が情報収集(読書)と共にやっていることを書いていこう。

読書と共にやっていること

などである。人間は7回以上同じものを目にすることで、覚えるようになる。これはマーケティング界隈では有名な話だろう。脳科学的にも証明されている。だから9項目分ある。ちなみに全部の全部をやっているわけではない。こんなのやっていたら本業の研究の方をやっている時間なんてない。だから、重要なもの、名著、心に残ったものなどをこのようにしている。

読書はあくまでも"情報収集"というスタンスを取ることで、全てを読まずしても、まとめることやアウトプットをすることによって、自分の意見に落とし込んだり、その意見から発展させることができる。

鍵となるのは「目次・タイトル」と「疑問」

基本的に、著者が書きたいことは目次とタイトルだ。ここにほぼ全てが凝縮されている。本文はその補完・補助でしかない。本のタイトルにはどういう意味が込められているのか?を最終的に説明できるのであれば、その本を読んだことにしても良いだろう。

そして、疑問を持って読むことと疑問を持つようになることがいい。

情報収集の流れとして、

  1. タイトル・目次に目を通す

  2. 疑問に思うことや〇〇ってなに?みたいなのを羅列しておく

  3. 情報収集

  4. 新たな疑問が生まれる

  5. もう一度、情報収集(別冊でも同冊でも)

  6. タイトル・目次の説明をざっと頭の中でする

  7. 自分なりの意見を持つ

だろう。重い。ここまでしなくてもいいが。

アウトプットをするときに、目次とタイトルは非常に有効な鍵だということだ。


僕は「読書」という重荷をおろしたい。

題名に戻ろう。

これまで、読書に関して、情報収集というスタンスをとって、それ以外のインプットやアウトプットの要素に重きを置くことを説明してきた(つもりだ)。しかしながら、それは、別の意味でさらに重くなった。

それほどまでに、読書というものを舐めてはいけない。ということではあるが、僕のような手順をしなくてもいいと思っている。自分なりの合う情報収集の仕方を見つければいいのだ。たとえ、本の内容をざっと読んで情報共有という形に持っていくだけでも十分だと思う。

だから、意識的には、「人にマウントを取るために知識をつけておく」とかでいいともう。読書の目的は、どこまで行っても「自分のため」でしかないのだから。人へ発信する意識はインプットをする際にとても重要だ。勉強でも仕事でも同じだろう。
勉強するのであれば、「教えるのが一番いい勉強法だ」とか
仕事であれば、「ユーザを考えて、サービスの構築をする」とか
いろいろある。どれもこれも利他的な精神が含まれている。それを情報収集というなの本にも活用すべきなのである。

だから、読書をしなきゃ、という主にではなく、
何か一つ情報を得て、マウントを取る。有利になる。という意識で読んでいけばいいのではないかと思う。

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