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「効果的な休憩」の肝はここにあった!

少し前から、「自分のご機嫌を取るための余白をキープする」ことを超絶意識している私。

5~6月は目標にがっつり掲げています!

とはいえ、以前ここでも書いたように……次女の学校行き渋り問題が発生して、その「余白」が浸食されることもしばしば。

「ここで休憩しようと思っていたのに(涙)」とか、予想外のことが次々起こって「余白の量が足りん……充電切れ……」とかね。

そんな経験を重ねる中で、「休み方のコツ」みたいなものが見えてきた気がするんです。
「コツ」というよりは、「肝(キモ)」というのに近いかな。

今日は、そんなお話。


科学的に良くても、億劫ってことはある

疲れたら「とにかく寝るに限る」とか、「体を動かした方がいい」「何もしないと決めたうえでダラダラするのがいい」とか、いろんなことが言われていますよね。

で、こういう「方法」ってのは、やっぱり人それぞれなわけです。

例えば、1日20分ジョギングするといいですよ~とか言われても、それに見合うウェア(とまではいかなくても、服装)すら持っていない。そもそも持久走的なものにいやな印象しか会い私には、装備がなくてモチベーションもなくハードルが高い。

だからといって、もっとお手軽に「ケーキを食べる」とか「珈琲をゆっくり飲む」とかしても、唐突にやってみたところでリセット感が低かったりする。

そんなことを繰り返したちょっと前を振り返って思うのは、「あぁ、これはやりたいかどうかの前に”方法”を探すことを起点にしているからイマイチなんだな」って。


自分を労わる肝は、「自分を〇〇すること」だった!

ここ最近、「自分を休ませる」という目的に向けて大切にするようになったのは「とにかく自分を優先してあげる」ことに集中すること。

「どんなことをして過ごすか(方法)」とか、「どれくらい休むか(時間)」とかをスタートにするのでなく、「とにかく自分ファーストにする」というスタンスをまず第一に置くようにしてみた次第。

ケーキが食べたいときもあれば、食べたくない時もある。
じっとしていたいときもあれば、動きたいときもある。
決まった「方法」に固定するから、しっくりこない。

それよりも、「私は誰にも気を遣わずに自分のしたいことを自分勝手にする」時間をわずかでも作れるとグンと心が回復する気がするんです。

例えば、いつも行くカフェで大好物をオーダーしたのに子どもに譲ったり半分こするのが日常なら、一人でじっくりそのメニューを堪能する、とか。
子どもが何かに頑張っているのを横目で放っておいて、自分のピアノの練習をする、とか。

昨日もいろいろあって、予定も狂い、しまいには心折れかけ泣きそうにもなりましたが……
次女がご飯食べてる間に「悪いけどママはピアノを弾く」と宣言して20分練習。いつもより短時間ではあったけれど、苦手な小節を繰り返してちょっと上達した自分に自己肯定感が急上昇!

お母さんだからこうあるべき、とか、大人だからこうしなきゃみっともない、じゃなくて「とにかく自分の欲を満たす時間をわずかでも作り、その時間を過ごしていることを意識すること」がめちゃめちゃ心に効くような気がしています。

すご~くちっちゃなことでもいいし、たった5分でもいい。
家のためになることでも家族のためになることでも社会のためになることでもなく、なんなら一見自分のためにさえならないことでもいいんだと思うんです。

もしめっちゃお行儀悪くゴロゴロしながらポテトチップスが食べたい自分がいるなら、それをそのままやってあげる。

「振り回されて終わった1日」に、「私はこれできたもんね~!」という一瞬を加えることが、ちゃんと自分の人生を生きているという自信と確認になる。
そんな一瞬が、きっと心を元気にしてくれると思うんです。

2021年12月、WordPressでWEBサイト「じぶん実験室」を立ち上げましたが、2023年6月より、noteにお引越しを始めました。

2021年12月~2023年6月の記事は、WEBサイトに掲載していたコンテンツをそのまま移行したものです。

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