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頭のなかにある思考のエッセイ

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自分のなかにもやもやと浮かぶものの輪郭をとらえたくて綴る、文章の置き場所。主に自分のための言葉たち。
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2024年3月の記事一覧

心が叫ぶ、「もっとゆっくり生きたい」と。

工房の庭でのほほんと空を眺めていたら、観光客らしき年配の女性が歩いてきて、目があう。 道ゆく人に「こんにちは」と声をかけるようになったのは、都市にいた頃との大きな違いだ。挨拶に続けてそのお姉さんは言う。 「この人懐っこい猫ちゃん、飼われてるんですか? かわいいですね」 お姉さんが指をさす方向から、にゃあと声がする。このあたりは猫が多く暮らしていて、おそらく誰の飼い猫ということでもないので、そのことを伝える。 「かわいいですねえ」 「日向ぼっこしてたんですかねえ」 猫

「働く」に対する思考のブロック

この文章がさらりと「まあそうだよね」と受け取れるとしたら、きっと大きなバイアスが、わたし達にかかっているのだろうなと思う。 仕事は大変なもの。我慢が必要なもの。だからこそ、その対価としてお金が払われるもの。そんなバイアス。 たしかにそういう側面もある。働いていれば大変なこともあるし、我慢が必要な場面もある。でも同時に仕事は楽しいものであり、わくわくすることであり、休日まで待たずとも毎日おもしろみを感じられるものであったって良いのだ。 というか、人生の大きな部分を占める「

「わがまま」だって、工夫すれば「生き方」に。

心がめちゃくちゃ疲弊し、ぐったりしていたここ最近。 静岡県・伊豆高原に工房を移転して、一ヶ月が経つ。 とても穏やかな場所で、鳥たちのさえずりに囲まれて過ごす日々は本当に気持ちがよく、新たにすてきな人生が始まったなと感じている。 それなのになぜ心がすり減っているのかというと、「安心して一人になれる時間」が圧倒的に不足していたからだ。 入居した店舗の設備の点検や、カフェ内装の打ち合わせなどで毎日誰かしらがやってくることと、補助金の申請や行政とのやりとりで一日何本も電話が入

自分を褒めてあげるための秘訣

物心ついてからずっと「もっと頑張らないと」と思ってきたので、自分に対して「まだまだだぞ」「もっと努力しなきゃ」と常に声をかけ続けた。 頑張っても、努力しても、なんだかまだ足りない気がして、「やってきたこと」には目もくれず「できていないこと」にばかり意識が向く。上ばかり見て、今とこれまでの自分を蔑ろにする日々。 自分が自分を認めていないこと、頑張っても労ってもらえないことは、思っている以上に心のダメージとなり、わたしの自己肯定感はずぶずぶと下がっていった。 ただ、心の奥底

ずっと「愛を受け取る」ができなかった

「世のため人のため」という気持ちで動くことが、これまでほとんどなかった。 そういうモチベーションで活動する人のことを「すごいなあ」と尊敬しつつ、わたしにはできないと思っていたし、まあ「自分のため」を最初に置いたとしても、それは結局めぐり巡って「自分が健やかに生きられる社会のため」「自分が大切な人のため」になっていくから、それで良いと思ってきたし、今もそう思っている。 しかし最近、どうやら少しずつ自分の内部が、変化していることに気づいた。 なんだか少し「世のため人のため」