マガジンのカバー画像

頭のなかにある思考のエッセイ

170
自分のなかにもやもやと浮かぶものの輪郭をとらえたくて綴る、文章の置き場所。主に自分のための言葉たち。
運営しているクリエイター

2023年10月の記事一覧

生きてる実感を、取り戻す。

「自分には生活スキルがない」と思ったのは、20代中頃のことだった。 料理が嫌いで、洗濯も掃除も、いわゆる家事といわれるもの全般が苦手だった。毎日やるべきことをコツコツと…が苦痛。もし生まれるのが数十年早かったら「人間として(女として)失格」だと思われていたと考えると、現代に生きていて本当によかった。 きっと自分は生活よりも仕事を重視すべきなのだと割り切り、20代の終盤ではひたすら暮らしを効率化して、仕事に勤しんだ。ルンバに掃除を頼み、苦手な料理はあきらめてお惣菜に頼り、「

考えるのが得意だと「やってみる」が不足するから

頭でっかちになって、自分のなかで思考を巡らせてばかりになってしまうことが、多々ある。 そういうとき、必ず登場するのは「これはこうなるはずだ」という自分勝手な試算と断定。その根拠は過去の自分の経験だから、とてもとても狭い範囲のイメージ。 考えることが得意で、なおかつ臆病であればあるほど、頭のなかだけで結論を出そうとする。外の反応はいつだって怖い。頭のなかだけであれば、傷つくこともないのだから。 そんなこんなで、圧倒的に「やってみる」が不足していくのだと思う。 職業柄、人

「薪割りをする人は二度暖かい」から、そうありたいなと思ってて。

この言葉が、すっと腹落ちした。 以前読んでいた本『シベリアの森のなかで』の一節。 寒い冬、薪割りを自分ですれば、割ってる間も燃やす時も暖をとれるよねっていう当たり前のことではあるのだけど。この表現に乗せて、 "生きる" を自分の手に取り戻すことが、ぐぐっと伝わってきた。 なんだか「享受すること」に、慣れすぎているなーという気がしていた。例えば冬の暖かさひとつとっても、「寒いな」って思ったらわたしはきっと、ホットカーペットと暖房の電源を入れる。自分の手を動かすのはたったそ

「これからの自分」に合わせ、仕立て直す

最近はどうも、短くわかりやすくまとめた言葉を書くと、つるつる滑っていくような感じがして居心地が悪い。 Twitterを始めてから7年間、ずっと毎日1投稿を自分に課してきた。140文字に思考を込めるには、なるべく短くわかりやすくまとめる技術が必要で、その訓練でもあった。 140文字で書き続けてきたからこそ、得られたものはたくさんある。そのおかげで出会えた人も場所も多い。やってきて良かったなと思ってる。 でも昨年くらいから「短くまとめた言葉が滑っていく感覚」が現れ始め、今年