生きてる実感を、取り戻す。
「自分には生活スキルがない」と思ったのは、20代中頃のことだった。
料理が嫌いで、洗濯も掃除も、いわゆる家事といわれるもの全般が苦手だった。毎日やるべきことをコツコツと…が苦痛。もし生まれるのが数十年早かったら「人間として(女として)失格」だと思われていたと考えると、現代に生きていて本当によかった。
きっと自分は生活よりも仕事を重視すべきなのだと割り切り、20代の終盤ではひたすら暮らしを効率化して、仕事に勤しんだ。ルンバに掃除を頼み、苦手な料理はあきらめてお惣菜に頼り、「お金を払って暮らしを効率化する」に舵を切った。
結果、その年、わたしの年収は人生のなかで一番大きくなった。
けれど、なんだか満たされなかった。生活をあきらめて、お金を効率的に生み出す日々は、自分を生きている心地がせず、なんだかただ虚しかった。
そんなこんなで30代に入り、ここ数年は「生活を取り戻してみようか」という気持ちになった。
ルンバに別れを告げ、頼りっぱなしのお惣菜とも距離を取って。まずはいったん、自分でいろいろやってみようって。
今まで料理の味付けは便利な「◯◯の素」ばかりだったけど、醤油や味噌などの基本の調味料を使って、自分でやってみるとか。買った方が安いとはいえ、野菜もベランダで育ててみるとか。「欲しい」と思ったものを買うのではなくて、自分で作ってみようということで、棚をDIYしてみるとか。
いろいろやってみて、やっぱり最終的に「これは機械や人にお任せしましょ」というものもある。けれど中には「これは自分の手に取り戻そう、その方が日々が心地よい」と感じるものもある。
特に最近は、夫は野菜づくりを楽しんでおり、わたしはちいさなDIYで「自分でつくる」を楽しめるようになった。実は夫が料理に向いていることにも気づいた。今では八百屋さんで地元の野菜を買ってきて、毎週たんまり作り置き副菜を常備してくれる。
ああ、これは手触りのある日々だ。そう実感する瞬間が増える。「生きてる」っていう感覚が増幅していく。
自分の手を動かすことと、テクノロジーと、旧式なやり方と、効率性と。どの塩梅が自分に向いていて、どうあれば "生" の実感を得られるのかはきっと人それぞれで。
自分に合った心地よい暮らしの形を考えながら、新しい形に作り直してみる。もしもダメだったら、また戻ったり変えたりすれば良いだけさ。
まだまだ実験してみたい気持ちでいっぱい。ずうっと「自分にはできるんだろうか」と不安に思ってきた暮らしの形だって、せっかく生きてるなら今世でチャレンジしてみたい。そんなふうに思ったり。
おわり
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自分にとって「暮らし」が大きなテーマになったタイミングで、今年のじぶんジカンの新作『暮らしをつくるノート』を制作できてよかった。
わたしが生活を見直し、暮らしをつくり直す上で考えた質問を、たっぷり詰め込みました。
自分だけでは見えない視点もあると思ったので、ノートの制作段階ではたくさんの方に「暮らしについて考えてること」を聞かせていただいたりもして。ご協力いただいた方々、本当にありがとうございます。おかげで素敵な一冊に仕上がりました。
これからの暮らしを見直したいと思っている方、もっと心地よい暮らしについて考えてみたい方、よかったらぜひ楽しんでもらえたら嬉しいです。
●エッセイ集を出版しました
「自分はどうかな?」と考えるきっかけとして、文章が届いたら嬉しいです。
運営している「じぶんジカン」では、自分と向きあう時間をつくるノートをお届けしています。もっと心地よく自分を生きるための一歩目に、よかったらどうぞ。