四川をゆく2 【成都・杜甫草堂】
2022年12月29日〜2023年1月3日にわたる四川省の旅行記です。
【旅行スケジュール】
12月29日 広州 → 成都
武侯祠•錦里古街•杜甫草堂•金沙遺跡博物館•黄忠公園
12月30日 成都パンダ研究基地 → 広漢三星堆博物館(広漢市)
12月31日 成都 → 蘇墳山•蘇軾公園•三蘇祠(眉山市) → 楽山大仏(楽山市)→青城山
1月 1日 青城山•都江堰(都江堰市) → 成都
1月 2日 成都 → 剣門関(剣閣県) → 成都
1月 3日 四川博物院 → 広州
旅仲間:おじさんA (日本人、男)、おじさんB(中国人、男)
なにかの参考になるかは分かりませんが、見聞きし、体験した範囲で、ぼちぼちと旅行記を残したいと思います。
2.杜甫草堂 〜国破れて山河あり〜 (1日目)
中国人に「優れた詩人を3人挙げろ」とお題を出すと、大抵は「李白に、杜甫に…、あとは…」となることでしょう。李白は「詩仙」、杜甫は「詩聖」と呼ばれ、中国はおろか日本でも多くの人に愛されている詩人です。
成都には、この杜甫にまつわる観光地として「杜甫草堂」があります。とはいえ皆さん、杜甫の人生についてどのくらいご存じですか?杜甫という名前は聞いたことがあっても、意外と杜甫の人生って知りませんよね…。
杜甫は、712年に鄭州と洛陽の間にある鞏義で生まれました。代々官吏を務める家柄で、若い頃は割と悠々自適な生活を送ります。33歳の頃には李白に出会い意気投合したりしています。この頃、家庭を持った杜甫は、生活のため仕官の道を志し長安へ向かいます。しかし、そこでの求職活動は、順調には進みません。苦しい生活は10年に及びました。755年、ようやく官職を得ることができた時には、杜甫は既に44歳になっていました。
しかし、この頃の玄宗皇帝は、既に楊貴妃に溺れ、政務を怠るようになっていました。それは、政治の腐敗を生み、結果的に安禄山の叛乱を引き起こすに至ります。それが、同じ755年に起こった「安史の乱」です。この安史の乱は、官職についたばかりの杜甫の運命も翻弄します。一度は長安からの脱出に成功した杜甫でしたが、756年に反乱軍に捕まり長安に連行され幽閉されてしまうのです。幸い役職が高くなかった杜甫は、歩き回れる程度の自由は与えられていました。その時、荒れ果てた都•長安の姿を目の当たりにし、嘆いて作られたのが、超絶有名な代表作「春望」、「国破れて山河あり…」なわけです。
その後、杜甫は、幽閉された長安から脱出し、玄宗から皇位を継いだ粛宗に合流します。しかし、皇帝のもとで官吏となったのも束の間、粛宗の不興を買い左遷。更に飢饉も重なり、失意に暮れた杜甫は職を辞してしまいます。そこから、家族を連れた流浪の生活が始まります。食うも困るような生活の中、子供の1人が餓死するという悲劇にも見舞われます。
そんな流浪の果て、杜甫一家がようやく辿り着いた地、それが成都でした。杜甫は、ここで支援者を得ます。そして、草堂を建て、田畑を耕しながら、しばらく穏やかな日々を過ごします。
そう、それが、成都の「杜甫草堂」なのです。
ここで作られた有名な詩が「春夜喜雨(春夜 雨を喜ぶ)」です。春の夜、待ち望んだ雨に心躍り、思わず「好雨知時節(好い雨というのは降る時を心得ているよな)」と詠んだ杜甫。成都の草堂での家族との素朴な生活が偲ばれます。
なお、成都では穏やかな生活を送っていた杜甫でしたが、そんな生活も長くは続きませんでした。支援者が逝去したことから、成都を出ることになります。その後、長江沿いの町を転々とした挙句、最後には770年、59歳の時に移動中の船の中で亡くなります。
国のために尽くしたいと志を抱き続け、それが果たせず、飢えや貧困に向き合う暮らしの中、詩という形で自分と現実を表現してきた詩聖•杜甫。成都の草堂には、そんな彼の、吹けば飛ぶような、ささやかで幸せな日々がつまっているようです…。
おまけ:四川を食す! (1日目)
さて、四川といえば、なんと言っても四川料理。「食いだおれバンザーイ!」の美食ツアーなんです。
初日は、旅仲間おじさんのBさんオススメの「老妈蹄花」を食します。これは、トロトロに煮込んだ豚足なのですが、箸を入れるそばから肉がこぼれ落ちるほど柔らかく、食感、味付け共に絶妙の激ウマ料理です。
オーソドックスな「老妈蹄花」と、四川に起源を持つと言われる「魚香」で味つけた「鱼香蹄花」の2種類を行ってきまーす!
お店は、成都の繁華街•春熙路近く。他にも、続々、赤い色をした料理をたくさん注文!
12月の寒空の下、店内の席が満席で露天の席で食べたのですが、料理が出てきたら無我夢中で、最後には汗を拭いながら完食しました。