「日光」を盗んだのは誰?(愚かすぎる窓税の話)
こんにちは。自由主義研究所の藤丸です😊
今回は、「日光の泥棒」のお話です😆
時代背景を知りたい方は、こちら ↓ を先にお読みください(時代背景を知らなくてもわかりますが、知ったほうがより楽しめると思います✨)。
今回の話は、時代は1690年代。場所はイングランドです。
イングランド名誉革命でイングランドの王となったウィリアム3世は財政難で困っていました。
民に好かれるため、評判の悪かった「炉税」を廃止したので、税金が足りなくなったのです。
王になったばかりのウィリアム3世とその妻メアリは、
この嫌われもの炉税を廃止することで、民に好かれようとしました。
名誉革命でイングランド前王ジェームズ2世を追い出し、外国(オランダ)から来たばかりの王ウィリアム3世にとって、民に好かれることは重要だったのでしょう。
しかし、大きな問題がありました。
ウィリアム3世は、名誉革命の際にオランダから借金をしていたのです。
また、追い出した前王ジェームズ2世のアイルランドでの逆襲を鎮圧したり、スコットランドでのジャームズ2世派(ジャコバイト)の反乱を鎮圧するのにもお金がかかりました💦
困ったウィリアム3世は、新税を導入することで資金を集めようとしました。
それが「窓税」です。
炉税のように徴税人が家の中にあがりこんで暖炉の数を数える必要はないので、人びとは「窓税」は炉税よりはマシだと思いました。
(窓は暖炉と違って外から数を数えられる)。
窓税の導入当初は、その税額はごく少額でしたが、それはだんだん引き上げられていきました…。
窓税の負担が大きくて困った民はひらめきます😆
「そうだ、窓があるから税金がとられるんだ!
窓を塞いでしまえばいいんだ‼」
窓を塞いでしまう人が現れ、新たに建てられる家は、窓の少ない家が建てられるようになりました。
「これで税金を回避できた!やった~!」と人々は喜びましたが、
ここで困ったことがおきました。
窓を塞ぐとどんなことがおきるでしょうか?
換気できないから空気がどんよりし、光が入らないから暗い家になってしまいました💦
しかもこれに拍車をかけた新たな税が1746年に導入されました。
「ガラス税」です。
ますます窓のない家が建てられるようになりました。
1797年、ウィリアム・ピット政権時代に、
窓税がそれまでの3倍に増税されました。
その結果、人びとはますますレンガや板で窓を塞いで税金を逃れようとしました。
産業革命の頃、都市部ではたびたび伝染病(チフス、天然痘、コレラ)が流行しました😱
窓のない・換気のできない湿っぽい家屋によって、感染者はますます増加しました💦
伝染病の感染による死者の増加にも関わらず、窓税が廃止されることはありませんでした。
19世紀になると、窓税廃止を求める声が大きくなってきました。
窓税廃止運動では、運動家たちは、窓税に反対する小冊子を配り、歌を歌い、演説をしました。
ロバート・ピール政権時代、所得税が再導入された直後の1845年にガラス税は廃止されましたが、窓税は廃止されませんでした。
1850年、ついに議会で窓税廃止動議が提出されます。
審議中、議員からは「日光の泥棒だ!(Daylight Robbery!)とヤジが飛んだそうです。
しかし、動議は否決されます💦
翌1851年、やっと窓税が廃止されました。
1696年から1851年に廃止されるまで155年(!!)もの間、
人々はこの税によって、新鮮な空気や日光を十分に取り込むことを制限されていたと言えます。
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いかがでしたでしょうか?
なかなか衝撃的で印象に残る窓税ですが、
「税のライフサイクル(税の誕生から廃止まで)」としては、歴史上の税の典型的なものだといえます。
愚かに思える税でも、政府はなんだかんだと理由をつけて税を正当化します。
そして、一度税が導入されると、その税率は少しずつ増え、税を廃止することは本当に難しいのです。
日本でも愚かな新税の導入が検討されていますが、100年後の国民のためにも断固阻止したいですね‼
今回の記事は以下の本を参考にしています。
とてもおもしろい本でオススメです!