「正義感」って、自分の本音と恐怖を隠すのに便利なんだな。
私の小さな頃の夢は、
仮面ライダーになることだった。
自分にとって、
「正義感」という価値観は
とても大きな価値を持っている。
そして、
誰かのためになれるように、
みんなの正義の味方となれるように、
自分は人一倍頑張り、
人より優れた存在であろうと、
人生の前半を、
「頑張ること」に注いでいたように思います。
頑張って人より優秀になろうと
努力をしていたように思います。
その裏には、
「認められたい」って思いが
常にあったのかもしれない。
でも、私の人生も46年を過ぎた頃。
もう努力や頑張りだけじゃ
どうにもならない現実に打ちのめされた。
完膚なきまでに叩きのめされた。
その頃も
「自分の頑張りが足りない」って、
自分にひたすら鞭を打ち、
自らを奮い立たせ、
何も疑うことなく
頑張ることに力を注いでいた。
その裏には、
「正義感」のようなものがあったのだと思います。
「努力している者は、報われる」
「正義は勝つ」
そんなニュアンスの思いが、
あったのだと思います。
ある意味「頑張る」ことに
逃げていたのかもしれません。
「頑張る」とは別のことを、
考えるのが怖かったのかもしれません。
そうすることで、
「今までの頑張り」を自分で否定することになると
恐れていたのかもしれません。
自分のやってきたことの否定に
思えるのが怖かったのかもしれません。
「こんなに頑張っているのだから」と、
周りに同情してもらえるように甘えてたところが
少しもないというと嘘だと思います。
「私は正しい」という隠れ蓑で
自分の本音と向き合うことから
逃げていたのかもしれません。
「努力もせずに、みんなから尊敬されたい」
そんなことはとても口が裂けても言えないことだと
思っていたのかもしれません。
自分のことは自分では、見えないのです。
「頑張ること」や「努力」に逃げて、
「いい人」を演じていたのかもしれません。
そんな「いい人」に酔っていたのかもしれません。
自分の本音を見せて、
みんなから嫌われることが怖かったのかもしれません。
だから、「頑張る自分」に逃げていたのかもしれません。
「いい人」を卒業して
ありのままの自分を好きになる時期がきたのかもしれません。
「不完全な自分」を受容する時期がきたのかもしれません。
「他人の評価」に安心を求めない時期がきたのかもしれません。
「大切にしてくれない人」から離れる時期がきたのかもしれません。
失敗したから気づけたこと。
失って気づく大切なもの。
でも、その失敗は必要だったんだ。
それは、自分に必要なピース。
今の自分に必要な出来事。
頑張っているから
その他大勢と同じなのだ。
苦になることを頑張らないで
自分の苦もなくできることを
頑張ったらいいのだ。
もう、人に合わせる必要はない。
「正義感」を持ち続けるがゆえに
弱音吐けず孤独深め苦しむことになった。
そして、
この「正義感」を振りかざし、
周りに有無をいわせず正しいのだから認めよ、
認めるしかないだろうと脅していたのかもしれない。
これも全部、自分の弱さや、
恐怖に向き合いたくなかったのかもしれない。
ダメな自分にOKを出す。
そんなダメな自分も丁寧に扱う。
そして、残りの人生をかけて
周りなんて気にせず、
自分の本音とぶつかり合って、
やりたいことをやって過ごしたらいいのだ。
できない理由を並べることは、
正義感を振りかざすことにも似ているのだ。
いつまで「正義感」で
本音と恐怖を隠しているのだろう?
できることだけをやってるだけじゃ、
何も満足はできない。
使命に気づき、やりたいことをやるのだ。
アイデンティティーを壊して
見つかる自分らしさをサインにして、
自分の道を進むのだ。
どうせ、お爺さんになったら
お金も自由も取られて、
ベットの上に縛りつけられて何もかも禁止されるんだ。
そうなって後悔する前に、
くだらない「正義感」なんて捨てて、
自分の本音と向き合おう。
自分の恐怖と向き合おう。
なんしかカッコいい大人になろう。
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でも、どうしたらいいの?
このままじゃいけないってのはわかっているんだけど。
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