If(もしも)の世界を旅してみる
子供の時から空想するのが大好きだった。
自分がアマゾンの僻地に生まれていたら、とか、北欧のプリンセスだったら、とか、挙句の果ては野生のパンダだったら、とか一気に発想がワープしてしまう、笑。
「もしも~だったら」というのはよく会話にもでてくるフレーズではあるけど、歴史を語る上では禁じ手だ。
それでも、Ifの言葉一つで、しばらくの間妄想に耽ることができる(暇なのかな?)問いかけが2つある。
・もしタイムマシーンで歴史上の人物に1人だけ会えるとしたら誰か。
・もし自分の人生で1度だけ修正できるのだとしたら、それは何か。
1つ目の問いに対しては、1人に絞り切れない。
私自身は無宗教だけれど、2000年以上も聖人として信仰されているお釈迦様(ガウタマ・シッダールタ)やイエス・キリストのお顔は拝見したいな。
あ、卑弥呼にも会って邪馬台国のありかを探りたいし、聖徳太子が10人の声を本当に聞き分けられるのかも実験したい。
言葉が通じるのであれば、諸葛孔明あたりにも、職場での世渡り戦術を伺いたい。
宮本武蔵も遠目からその戦いぶりを覗いてみたい。
ショパンの生演奏も聴きたいし、マリー・アントワネットのウエストの細さもこの目で確かめたい
うーん、何人も出てきてしまった。でも一人だけだったらやはり卑弥呼かな。
預言者としてミステリアス感満載の卑弥呼さんに私の未来を占っていただきたい。
そして2つ目の問いについては、こちらも叶いはしないものの、もっとリアルだ。
自分の過去で修正できるのであればそれは何か。
人生を振り返ってみる。
大学受験の時にもっと勉強していれば、というのはある。
もしマスコミを卒業していなければ、もっとハッピーだったか―うーん、今抱いている閉塞感を味わうことはなかったけれど、時々襲ってくるこの虚無感はどこにいても変わらないだろう。
考えてみると、その時その時は一生懸命やってきたつもりだったし、あらゆる転換点は結局自分が決めたことなので、悔いはない。
でも、一つだけ「あの時~していれば」という出来事がある。
私は典型的な文系人間なのだが、小学校3、4年生位までは理科の実験が大好きだった。
何とかと何とかを調合したらナニナニになって、どうすれば化学反応が起こるか、とグループの中でも率先して動いていた。先生にも褒められた記憶がある。実際、ワクワクしながら液体と粉を混ぜ合わせていたのだが。
悪友というかクラスメートが、実験中に私の集中力を乱すかの如く、授業と関係のない面白い話をしてきて、私の関心はそちらのさぼりトークに移ってしまった。
当然、理科の成績も急降下。
そして、その後の科目としての化学にもアレルギー反応を起こすようになる。
あの時、実験の面白さを追求していれば、理系人間になって、違った人生が待っていたのでは?とふと、何十年前の出来事を振り返ることがある。
もう後戻りはできないし、”If”の世界をさまよっても、むなしくなるけれど。
あなたにはありますか、「もしも」の世界。
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