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ブランドがブランドでなくなる時
以前、『「新参者」がブランドになる時』という記事で、企業や商品、人がブランドになるには何が必要か、について自分の考えを述べた。
今日はその逆で、ブランドが廃れるというのはどんなことなのか考えてみたい。
子供の頃は「高根の花だったモノ」が、今は手ごろな値段で手に入ったとか、特別感がなくなってしまったと感じたことはないだろうか。昔は憧れの的だった財布やアクセサリーなどが大衆化によって高級感を失ったというのはよくあることだ。
そもそも、ブランドって何だろうか。
高いものとは限らない。花粉症の私はティッシュペーパーにこだわりがあり、あるメーカーのものしか使わないのだけど、鼻触り?が優しい。つまり品質の高さも一つの条件だ。
安心感や信頼性も重要だ。
電化製品も日本の有名メーカーじゃないと嫌だ、という人もいるだろうし、ホテルも日本の老舗ホテルのサービスを好むお客も少なからずいる。
先日、日経新聞で、イタリアの有名ブランド「プラダ」の創業一族のインタビュー記事を読んで、改めてブランドを維持するのって大変だなと感じた。
経営環境の厳しさが増す高級ブランド業界はM&Aが活発だ。その記事では、プラダが生き残っているのは、独立系を維持するというブレない経営方針と商品に込められたメッセージ性の強さだといった内容が書かれていた。
ブランドとしてのアイデンティティを守るためには独立系でいたほうが良いかもしれないけど、一方で思い切った成長戦略を取るには潤沢な資金がある巨大企業下のほうが有利だ。
一般的には、利益を追求すればするほど、ブランドも大衆化され、本来持つべき希少性や価値が薄まってしまう。手の届かないはずだった商品が量販店で簡単に買えるようになると、かつての特別感が失われる。
ブランドがブランドでなくなる瞬間だ。
そんなことを考えていたら、今週はホンダと日産が経営統合へというニュースが飛び込んできた。
ホンダはカリスマ経営者だった本田宗一郎さんからの「Hondaイズム」と呼ばれる独自の経営理念が浸透している。どういう形の統合になるのかわからないけど、実現した場合、こうした理念や職場風土、そしてブランドとしての独立性は保てるのだろうか。
ブランドが100年続くのは奇跡に近い。
時代や価値観の変化に直面しても、それを乗り越えられるのは、一貫したアイデンティティを持ちながら、同時に変化を受け入れる柔軟さを持つブランドだけだろう。たとえM&Aの波に巻き込まれても、成功例がないわけではない。買収や統合を機にさらに価値を生み出した企業も存在する。
結局のところ、ブランドがブランドであり続けるためには、挑戦を恐れず、新しい価値を創造し続ける姿勢が不可欠だ。
100年後の業界地図って一体どうなっているのだろう。
このテーマについての私の妄想はまた別の機会で触れたい。