私が散歩をやめた理由(ワケ)【創作大賞2024応募作エッセイ部門】
ここ4か月、あの道を歩いていない。
週末必ず通っていた散歩道。
景色を見たら、苦く切ない感情が溢れてしまうから、歩けない。
全ては一つの出来事に行きつく。
1. 失恋
人を好きになるってどんな気持ちだったっけ?という感じでずっと生きてきた。
人生半世紀を迎えようとした昨年、その人は職場にいた。
今まで仕事が中心の生活。資格の勉強もはかどっていて、友達と食事や旅行を楽しむなど、それなりに満足もしていた。
20年前に辛い恋愛をしてから、もう自分しか人生は変えられない、これからも人を好きになることはない、とずっと思っていた。
何年も働いている職場で初めて見る顔。彼は間違いなく、モテるタイプ。(主観が入るが)スタイル、ルックスもよく、少しコワモテだ。ただ、私の好みではない。
私よりかなり年下で、共通の話題もなさそうだ。生き方も違うし、過去の恋愛で好きになった『豪快で上昇志向の強い男性』というわけでもなかった。
クールで、どこか品があって、私の話を聞いて笑ってくれるときのキラースマイルが焼き付いて、寝ても覚めても彼のことばかり考える。勉強すら手につかなくなった。まさに熱病だ。
全く違う世界観を持った人。話をすると全てが新鮮だった。一方で、仕事に対しては、共感できるところもあった。
あと数ヶ月でいいから、こうして時を過ごせるのであれば、今までの小さな幸運すべてと取り換えても良いとすら思った。
向こうが(私の事を)どう思っていたか、わからない。
少し年の離れたお姉さんという存在のように話しやすかったのか、私の気持ちを何となく察したからなのかも不明だが、仕事帰りに何回か食事に誘ってくれ、趣味や仕事について話し込んだ。職場での閉塞感に対する不満を含め、私自身、かなり心の内をさらけ出した、と思う。
街の散策が趣味ということもわかり、週末、散歩しましょうという流れになった。
年が明けた、とある土曜日。その日は朝から曇り空で昼過ぎから雨の予報。
傘を差しながらだったが、午後から4時間かけ、私の家の近隣の地区をくまなく散策した。
地形にやたらと詳しく、事細かに道がどことどうつながっているのか説明してくれた。散歩中は他愛もない会話に終始したが、夕飯を共にし、どんよりした天気以外は、日ごろの倦怠感を忘れ、心から楽しめる時間となった。
社交辞令かもしれないが、「またよろしくお願いします」的なメッセージがあり、気分良く、その週末は過ぎた。
その後しばらくすると、なぜか、避けられているような雰囲気。
そもそも、私自身、好きだという気持ちも一切伝えていないし、何のアクションも起こしていない。
全く避けられる理由がわからない。
なぜ?
今振り返ると、ただただ散歩エリアに興味があっただけなのだと思う。彼なりに、勘違いされないように、けん制していたのかもしれない。とはいえ、そこまで私は前のめり感だしていたのかな?一切イニシアチブはとっていないのに。
一方、私にとっては、あの日以来、自分の地域周辺を散策したがために、どの方向に向かっても、一緒に歩いた道にぶつかってしまう。悲しい気分になり、散歩もできなくなってしまった。
複雑な心境だったが、会社では、平静を装い、淡々と仕事をこなす日々。
4月からは別の場所で心機一転することもわかっていたので、あともう少しの辛抱だ。
3月末、何事もなかったかのように仕事帰りに軽く食事に誘われ、普通に会話を楽しんだ。
そもそも、恋愛自体に期待していたわけではない。なので、自分としては、ほろ苦くはあるが楽しい思い出のまま終えられれば、気持ちに終止符を打てる。きっと、これで大丈夫だ、と思った。
翌月、別の元同僚も含めて、1カ月ぶりに会った。明らかに距離感を感じる。
独身であることに対し、否定的なコメントをし、家族を持ちたい、といった内容を明言していた。環境の変化があったにせよ、そんな話を持ち出す必要などあっただろうか。
意図的だったのか、無邪気な会話に過ぎなかったのか、わからない。あえて、私を傷つける必要があったのだろうか。自分が否定された気分。そしてそれまでのキレイな思い出までも台無しになってしまった。
怒りすら覚えた。
でも、冷静に考えると、何に対しての怒り?
そもそも、なぜ別世界にいる人に惹かれたのか、なぜどうでもよかった恋愛でここまで傷ついたのか。
ここから、自分自身を見つめ直さなければならない。
7年前までマスコミの世界にいた。その後、転職してからの6年間は、自分らしさを見失い、時間だけが過ぎていく日々。
誰かに止められていたわけでもないのだが、書くこともせず、職場では、本当にやりたいと思っていたこともできず、閉塞感や場違い的な雰囲気を感じていた。
そんな時に自分とはまったく違う人生観を持った人に、ハマってしまったのだ。
狭い空間にいたことで、自分のセンサーにブレが生じたのかもしれない。
これは、誰かのせいではなく、小さな世界で、こんな些細なことで気持ちが負けてしまっている自分自身への苛立ちなのではないか。
2. 私の原点
若い頃から、平凡な人生を送りたくないという気持ちが人一倍強かった。
両親にも普通に愛され、幸せな子供時代だったと思うけど、学校を卒業して、就職、結婚、子育てという一般的な既定路線を歩むことはしたくない、と中学生の頃から漠然と思っていた。
自分の能力を過信していたわけでも何でもないけど、人とは違うエキサイティングな人生を送りたかった。
世の中に何らかの影響を与えられる人になりたい、とずっと夢見ていた。
子供時代から、単純で、感化されやすかったため、「ウォーターゲート事件」について書かれた「大統領の陰謀」(All the President's Men)を読み、アメリカのメディアの影響力の大きさに憧れた。
記者になりたい。
アメリカの大学院を卒業後、願いは叶った。
記者時代は、日々、ニュースになりそうなことを追いかけ、そしてニュースに飛び込んでいった。そのため、世の中の中心にいるような錯覚に陥ることもあった。
社会を揺るがすような事件にかかわったことはなかったため、自分の記事がどれだけの影響を与えたかは、定かではない。それなりに刺激的な生活ではあったけど。
あの夢を語っていた中学時代から35年を経ての今。
描いていたものと同じ風景をみているだろうか。
何か違う。
記者時代もそうだったけど、何か満たされていない。
Something is missing…(何かが欠けている)という感覚。
完成すべきパズルのピースが埋まっていない。そのピースは何なのか?
何かを世の中に残したい、という願望に対する答えだ。
今はぬるま湯に浸かった状態で、本も書いていない、曲も書いていない。ビジネスをしているわけでもない。
現状に甘んじ、ただ空白の時を過ごしている。35年前の自分はここにはいない。
このモヤモヤ感は何もしていないことの焦りではないか。鬱積した感情を解消しなければ、おそらく残りのピースは埋まらないだろう。
3. あの日通った道―そしてこれから
今回の失恋をきっかけに、あの頃の想いがよみがえった。
そうだ、書いてみよう。
ペンがナイフになった瞬間。
心を抉り出すかのように過去を振り返り、流れる血液の如く溢れる気持ちを文にしたためる。
ペンは、辛い感情の波から私を守ってくれる防波堤にもなる。
ここ何年間か、抑えていた気持ちの反動が怒涛のようにやってきた。そして、書くことで自分を取り戻した。
noteを始めたおかげで、自分の感情は文字となって残っている。
これから、本の執筆や曲作りだって、不可能なことではない。
仮にどれも実現しないとしても、何かに取り組み、毎日を懸命に生きれば、昔描いていた絵と違っても、パズルは完成するかもしれない。
Everything happens for a reason. (全てのことに意味はある)
ずっとこの言葉を信じてきた。
当初は、この1年に何の意味があったのだろうか?と自問自答の連続だった。
現実をかえりみなくてはならない切なさを考えると、正直”あの人”には最初から出会いたくなかった。
いや、強がりを言えば、書くきっかけをくれたのだから、どうでもよいけど意味のある人だったのには違いない。
“あの人”を先日見かけ、軽く挨拶は交わしたものの、私が知っている彼はそこにはいない。
話をすることはもうないだろう。
ずっと避けてきたあの道。あの日のどんよりしていた雲は自分の気持ちの表れだったのではないか。
今度は違う景色がみえるかもしれない。晴れた日に、また歩いてみよう。
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