ライオン狩り事件 愛国者学園物語 第213話
ファニーの事件から数年が過ぎた。
強矢悠里が通う愛国者学園は、派手な
パフォーマンス
を繰り返していた。愛知県に学校があるのに、子供たちは頻繁に上京しては、第二次世界大戦当時の軍歌を歌うコンサートを開催したり、鼓笛隊を繰り出して都内をパレードする「首都大行進」をやっては、人々の目を引いた。また、政権与党の政治家たちのイベントに参加することも当然のように行っていた。学園の背後には、豊富な活動資金を出す支持者や支援企業の群れがあり、学園はそれに支えられて、パフォーマンスを繰り返した。あるホテルは客室に、日本人至上主義者であるCEO自らが書いた過激な文章をのせた雑誌を置いているが、そのホテルは膨大な数の部屋を提供して、子供たちを泊めていた。別の企業は大型バスを貸し出して、彼らの足にした。愛国者学園は、日本人至上主義者たちのアイドルになったのかもしれない。
そういうわけで、
小学校5年生になった強矢悠里が、東アフリカ某国でライオン狩りをしたとき
は、日本人至上主義者だけでなく、日本は興奮の渦に巻き込まれた。
満面の笑みをたたえた彼女が、手にアーチェリーの弓を持ち、大きなオスライオンの背中を踏んでいる写真が世界を駆け巡ったのだ。目を閉じているライオンは、まるで強矢に降参したかのように見えた。
多くのニュース番組では、そんな強矢を解説する特集が組まれ、彼女がいかに凶暴なライオンと戦い、弓矢で仕留めたのかが、驚愕(きょうがく)と賞賛の言葉とともに送信された。日本人至上主義者たちのメディアは、そんな彼女を讃える(たたえる)言葉で膨れ上がり、強矢のファンクラブでは、彼女からのメッセージ動画が会員向けに提供された。
「私は凶暴なライオンを仕留めたんです。戦って勝ちました」
そう誇らしげに語る強矢の顔は輝いて見えた。
ファンクラブの会員が50万人以上いると公表された今
、強矢悠里は愛国者として、日本の未来を担う逸材(いつざい)として、その名を知らぬ日本人はいないと言われるくらい、有名になっていた。そうなったのは、学園の背後に隠れている芸能プロデューサーたちの仕業だったが、傲慢(ごうまん)な強矢はそれを自分一人の功績だと思い込んで、なんら恥じることもなかった。
だから、彼女は日本中のメディアが、自分がライオンと戦って勝利したことを大々的に報道したことに心底感激し、自己陶酔したのだった。強矢のような、愛国者学園の子供たちは勝利の重要性を知っていた。彼らのような日本人至上主義者にとって、敵である反日勢力と戦い勝利することは何よりも重要なのだ。
自分たちにとって「勝利」だけが、唯一にして最高の価値なのだから。
戦後の自虐史観に毒された人間のように、反日勢力との対話なんてありえない。そして反日勢力に勝たなければ、自分たちが殺される。だから、勝利は大切なのだ。強矢は自分がライオンに勝利したこと、そして、そのライオンを足蹴(あしげ)にしている写真が社会に広まったことを思い、興奮して眠れなかった。
そんな熱狂ぶりを、美鈴は冷たい目で見ていた
。彼女が冷静だったのは、ジャーナリストとして成長しただけでなく、親から精神的に独立出来ない夫と離婚したからかもしれない。双子の娘たちを連れて名古屋に帰り、母・桃子と交代で育児をしつつ、ホライズンの仕事をする。それが美鈴の人生だった。桃子が経営する「みつはし肉店」は、今や、惣菜の通信販売でも大きな成果を手にしていた。コロナ禍時代に思い切ってその事業を始めたら、それが成功したのだ。だから、美鈴はホライズンを辞めて、実家の店を手伝う。そういう生き方もあったが、美鈴はそれを選ばず、桃子もそれを良しとした。
美鈴の周囲でも、強矢のライオン狩りは話題になった。ホライズンが世界的なメディアだけあって、その背景に関する情報はあっという間に集まり、それがホライズン関係者のみで使われるメディアで拡散したのだった。それはすぐに記事としてまとまり、公表されて世界に広まった。
それによると、強矢が射殺したのは野生のライオンではなくて、狩猟用に飼育されていたライオンだった。アフリカには、
トロフィーハンティング
と称して、カネを払えば、ライオンのような猛獣でもキリンでもゾウでもハンティング出来る施設があり、強矢が利用したのもその一つだった。彼女は飼育された動物相手に、お得意のアーチェリーの腕前を生かすべく、わざわざ矢を使ってライオンを射った。ライオンを倒すために、強矢はきっと多くの矢を使ったに違いない……。
美鈴はそれを読んで、
「最低」
と吐き捨てた。美鈴はライオンが特別に好きなわけではなかったが、強矢の遊びで殺されたライオンを思うと、祈りたくなった。
つづく
これは小説です。