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「正しい子供の苦悩」と「愛国心の伝道」 愛国者学園物語 第225話

(2670字

 有名なテレビコメンテーターであり、

美鈴の親友でもある田端彩子

は「週刊まさか」による愛国者学園の批判記事を読んで、自らも意見を述べた。ホライズンに掲載されて世界中に広まったそれには、愛国者学園の子供たちによる

「正しい子供の苦悩」や、「愛国心の伝道」

についての疑問を書いたものがあった。以下はそれをまとめたものである。


 「正しい子供の苦悩」とは

、愛国者学園の学園生イコール日本人至上主義者である少年少女が、一般的な社会人と衝突して精神的に傷つくことだ。これは実に多い。「週刊まさか」の調査では、インタビューした全員がこういう体験をしていた。そして同学園について研究者らは、学園には心理的な衝突で傷ついたことのない学園生はいないだろう、と語った。

 では、なぜそのように感情の衝突が起きるのか。それは、学園が学園生に教える日本人至上主義に対して、日本人の多くが違和感を感じるからだ。

 愛国者学園の学園生たちは、子供なのにカラオケで旧日本軍の軍歌ばかり歌うので、同じ年頃の子供と話が合わない。それでいて、他人の歴史観や知識にケチをつけるので、嫌われることが多かった。例えば、親が歴史に関する知識を話しているとそれを批判し、正しいことを教えると称して延々と話をするのだ。しかし当人たちは自分が正しいことをしていると、自分を疑わないので、ますますタチが悪かった。彼らは「正しい子供」と呼ばれ嫌がられた。自分たちの知識を正しいものとして、人に押し付けるからだ。

 今の世では、愛国者学園のような日本人至上主義を教える学校がいくつもある反面、大半の学校は文部科学省の教育指導要領に従い、バランスの取れた教育を授けている。つまり、愛国者学園は世の中の標準からずれているのだ。それゆえ、愛国者学園の学園生たちは、自分たちが学んだ知識を世の中に広めようとして、激しく拒否され、精神的に疲労するのだ。

「学園が教えてくれたことを、つまり良いことを教えてあげているのに、みんなはひどく怒り、自分たちを毛嫌いする」

と、ある学園生が語った。

 学園生はまだ子供なのだ。そういう彼らに、他人と喧嘩の原因になるような歴史観や日本人至上主義のような優越思想を教えることが、「正しい子供の苦悩」の原因だといえよう。ましてや、そういう子供たち、他人とのコニュニケーションの経験が少ないような、精神的にも若すぎて未熟な子供たちに、そういう思想を世の中に広めろと命令、実行させる学園当局は異常である。

 愛国者学園の子供たちは純粋過ぎた

。だから、君たちは日本社会に愛国心を広める宣教師なのだ、という初代学園長の言葉を、疑うことなく鵜呑みにして実行した。初代学園長の言葉だけではない。学園生たち自身も、自らを宣教師と呼んで恥じなかった。学園生たちは神道の信仰、皇室への敬意、それに美しい日本の国土を愛し守ること。その3つを柱とする愛国心を日本社会に広めるんだ、という純粋過ぎる思いを隠さず実行した。そして、その結果は悲惨なものであった。「宣教」を受けた、多くの人がそれに反発した。愛国心のように、無数の考え方がある問題では、特定の意見の押し付けは人々の怒りを買う。それくらい、愛学の若者たちは理解出来ていただろうか? 

 

「宣教師」

という言葉は、キリスト教の伝道をする人を思い出させる。別にキリスト教だけに限らず、何かの教えを世に広めようとするならば、新約聖書の使徒言行録を読んでからにすべきだろう。キリストの弟子たちは、キリスト教が生まれた、今日のイスラエルとパレスチナの地を出て、今日のトルコやギリシャなどを訪問し、その地の人々にキリスト教を説いたが、それは苦難の連続だった。迫害され騒動に巻き込まれたのだ。だが、愛国者学園の関係者は「古事記」しか読まないと言われるほど、偏った知性の持ち主たちだ。それに、神道を絶対視するこの学園で、キリスト教の知識を得ることは不可能だったろう。もし、学園の人々が使徒言行録を読んでいたら、布教がどれほど大変なのか、覚悟を決めたはずだ。

 聖書でなくても良い。釈迦の人生はどうだろう。ある国の王子シッダールタが、苦行のはてに釈迦として目覚める。そしてその後、50年ほども各地を周り、仏教を説いてまわったのだ。手塚治虫の漫画「ブッダ」でも良かろう。何かを世の中に広めるとは、自分たちを信じる人たちとの出会いの旅ではあるが、それ以上に、自分たちに石を投げて殺そうとする人々との出会いでもある。教えはそう簡単には広まらないのだ。使徒言行録などは、まさにそういう苦難の記録なのだ。

 愛国者学園の学園生たちは年若いから、そういう書物に気がつかなくとも仕方あるまい。しかし、周囲の大人たちが、その困難さを語るべきではなかったか。ましてや、宗教、王族、郷土愛を柱とする愛国心のような問題は、人を困惑させる、あるいは激しい怒りを巻き起こす問題でもあるのだから。愛学の学園生たちがいかにそれを説いても、その言葉に激怒する人たちがいたことは、学園生たちが愛国心や日本人至上主義を広めることの困難さを物語っていないだろうか。まだまだ子供である学園生たちに、その困難さを覚悟せよ、反発に耐えろと言う方がおかしいのかもしれないが。以上のような理由で、人々の困惑や激しい怒りを受けて、多くの学園生たちが精神的に傷ついた。日本社会は彼らをどう癒せば(いやせば)良いのだろうか。

 田端はまた、愛国者学園の子どもたちが、インターネット上の偏った(かたよった)知識ばかりを吸収して、その言動が過激になったという事例を引き合いに出し、学園の教育を批判した。

 あの子どもたちの学力の低さは有名だが、その原因の一つは、

彼らがインターネットに夢中になっていて勉強をしないからだ

。それは事実であり、学園関係者も認めている。子どもたちは、ネット上で作った友人たちイコール日本人至上主義者たちとの交流や情報交換を熱心にしている。また、彼らが、彼らとは異なる意見の持ち主を攻撃することも頻繁に起きており、愛国者学園に関係するネット炎上事件は少なくない。ウィキペディアには、それをまとめたページがあり、それによると、毎週のように、学園の子どもたちと、彼らに反対する人々の間で炎上事件が起きていることになる。その結果、子どもたちが相手のアカウントに攻撃的な言葉や、ひどい場合には殺害予告を書き込むこともあり、それで司直の世話になる学園生も複数いた。

田端はそのような現状を嘆いた。そして、愛国者学園とその教育は間違っていると結論したのであった。



つづく
これは小説です。

次回第226話「きな臭い話」日本人至上主義にあふれた日本社会では、自衛隊にも大きな不満を持つ人がいました。彼のその不満とは。そして、美鈴を悲しませるある出来事とは? 次回もどうぞお楽しみに!







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