「三島・太宰、そして文学」
昭和維新は必ず来る!
三島由紀夫
ここ「note」で、三島由紀夫氏、太宰治氏が取り上げられることが多いが、わたしのような勉強をしてこなかったものは、今日の夕食を考えるのがやっとで、わからない。その二人の作家を論じること、語ることができるのは、彼らが我々読者に対して半永久的な「物語性」を提起しているのであろう。
三島由紀夫氏は、生まれて来る時が早すぎたのかもしれない。
行動する文學、実存主義文学が流行した頃に作家として壇上に立っていたらアメリカの作家、ノーマンメイラーのような文豪であり、世界的な著名人となっていただろう。
観念論から脱出する時期がよくなかったのでは、と、三島由紀夫氏の場合はそう思う。
三島由紀夫氏は、早く走り過ぎたのだ。
三島由紀夫氏が欲していたのは、非常に単純なことで、仲間・味方ではなく、よき理解者と愛してくれる人だったはずだ。
最後に割腹自殺し愛人の男に首を切らせ死亡した。
死亡は、「ピリオウド」であり「作品の終了」を意味する。
ここで、彼の人生は完結したのだ。
彼が、観念論以降、早く走るので誰もついてはこれなかっただろう。
三島由紀夫氏との対比として太宰治氏が出ることは多い。
太宰と言えば、大食いでカニや鴨が好き、病弱であるというわりに当時の医師が付けた太宰治の行動の記録を読むとすごく体力がある。
そんなことを思い出す。
彼が、小説が書けなくなったというのはウソである。正確に言うならば、大作が書けなくなっただけど。
彼は、自殺する際、朝日新聞に連載小説を書いている。作家が、大手新聞に連載で書けるというのは、すごく名誉なことであり、どんどん小説が書けるということを証明しているようなものだ。
彼の遺作、「人間失格」が「名作」と呼ばれているが、どこが「名作」なのであろうか、わからない。彼は、幾度も「自叙伝的小説」をかいてきたではないか。それを水で薄めたような「作品」が「人間失格」だ。
斜陽は、言葉使い振る舞いが、上流階級の人はそんなことはしないと、三島由紀夫氏に酷評されてはいるが、「作品」としては、おもしろい。
太宰の場合の方が、自殺の理由が見つけやすい。
① 税金の滞納:斜陽などで莫大な収入を得たがそれなりに税の金額がすごかった。太宰は、そのことに無頓着であり、毎晩、彼主催の酒の宴がもようされ、太宰を知らないものまでお座敷に上がりご馳走になることができたらしい。彼は税務署に呼び出されるが、何と釈明したのであろうか。金銭管理は、夫人ではなく太宰治氏の仕事であり、全財産が入った郵便貯金通帳と印鑑を持ち歩いていたそうだ。分かる通り、家庭にはたいしてお金を入れてないので三鷹の自宅の荒れ放題はすごかったらしい。
② 女性関係の問題:斜陽を書くときに借りた日記の著者、太田静子は愛人となっていく。そして、彼女は妊娠し、太宰との子を産む。太宰はしぶしぶと認知する。その他に太田静子は、自分の日記が斜陽を生んだということを高く評価し出版したいと言い出す始末である。
朝日新聞の連載を書きながら、愛人の山崎富栄に若い女性に恋をしている、華族の人かもしれない品のある人だという。これは、作り話だと思う。
③ 小説が書けなくなった。
この三つの問題が、自殺へ及んだと見る傾向が強いが、二日酔いの太宰を無理やり自殺させたという山口富栄説がある。
三島由紀夫氏は、芸術家であり、太宰治氏は、職業作家というところだろうか。
わたしは、ここには敢えて書かないが「精神分析学」の立場から見ている。