「なぜ、生きていくのだろう」
わたしは、両親を亡くした。
父は、ガンであった。母は、肺炎ある。共に高齢であった。
わたしは、死に目に合うことが怖くて、わざと会いに行かなかった。
母親の場合は、わざと一度もお見舞いに行かなかった。
それは、母が、アルツハイマーで完全にボケてしまったからだ。
弟の話では、弟がお見舞いに行っても誰か分からず、あんた、誰?どこの魚屋さん?と言われたそうだ。それを聞いて、もし、母に会いに行って同じことを言われたら、一生立ち直れないと思った。
わたしの心の中では、いつも気丈で、頭の回転が良く、弁が立つ母でいて欲しかった。
今でもその気持ちには変わっていない。
後悔はしていない。
ただ、子として親を看取らなかったことはどうなのか、という疑問には、母の死後、ずっと考え続けている。
今、両親の死後、わたしの心の頼りは、血を分け合った実の兄弟である弟と妻だ。
妻は、赤の他人である。なぜ、結婚したのであろうか?
愛があったからだろうか?
愛とは何?
分からないことばかりだ。
妻と家庭を築きたかったからであろう。
もう、妻といるのが当たり前になってしまい、考えれば考えるほど分からない。
夫婦喧嘩をするたびに弟に相談する。
弟は、お兄さん、我慢した方がいいですよ、と言われる。
わたしは、元々、我慢できない人間だ。我慢はしないことにしている。しかし、そういいながらも沢山のことを我慢している自分がいることを発見する。
時々、もう生きていけないかもしれない、と弱音を吐きたくなることがある。
世間が、人生が厳しいから。
わたし、一人では何もできない。
弟には、彼自身の家庭がある。妻には、彼女自身の世界がある。
わたしには、何もない。
わたしには、わたしの世界がある気がしていた。
実際は、何もない。
わたしは、空気や風のような存在だ。
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