子ども中心ではない家族の姿
日本の親は、モノを買う、洋服や部屋、
学費などお金を与えることが愛情の証しとなっている。
これは、親子の相互依存になっていると言わざるを得ない。
例えば欧米は、愛情関係をコミュニケーションで確かめている。
親が子ども基本的健康や生活を守ることは、
当然のことであるが、好きなものを買ってあげたり、
楽をさせたりすることは過剰な援助とみなされている。
もしかしたら「子どものために」と成人になってからも
援助を続ける親の多くは、
「子どもの愛情」を信じていないかもしれない。
だから、自己犠牲的に子どもに尽くさなければ、
愛情深い親とはいえない不安から生じるのではなかろうか。
子ども中心ではない家族の姿は、
子どもに与えるのは「モノ」ではなく「コト」である。
親は子どもを苦労に耐えうる自立した人間に育てることが努めであり、
成人したら自立した者同士で、コミュニケーションによって
愛情を感じ合うという親子関係が楽しい人生をつくっていく。
親という文字は、木の上から(視座を高くして)
子どもを見守るという意味である。
子育てのゴールは、自分の意思で人生の目標を見つけ自立するときである。
そのとき、親が子どもに出来ることは、
子どもを認め、望みを聞き、未知の世界に旅立とうとする子どもに、
「何があっても大丈夫」と子どもの未来を信じ励ますことぐらいしかない。
心配は誰の役にも立たないことを頭の片隅にでも置いておきたいものである。
帰ってくる場所。どんなときでも温かく迎えてくれる場所。
それが家庭であり、家族である。
そこにしっかりとした自分の居場所があれば、
人は安心して生きてゆける。
最も身近な人を幸せにすることは最も難しいことかもしれない。
しかし、それが最も価値のあることでなかろうか。
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