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ついに一人一台、キャリア教育にニューノーマルを

あけましておめでとうございます。
Japan Education Lab 代表の古谷です。

やっとコロナが収まってきたかと思えば、また蔓延し始めましたね。昨年のコロナ禍では多くの学校・先生をはじめ教育系企業・団体が試行錯誤ではなく、挑戦を重ね、様々な教育的価値が見えてきたような1年だったと感じています。特にGIGAの広がりから、良くも悪くもデジタルネイティブの児童・生徒にとっては学び以外に発展する温床となっています。発展が幸か不幸かという論点については喧々諤々たる話し合いをしてみたいものですが、どちらにせよ『安心・安全』というキーワードは欠かせないでしょう。

さて、年末に文科省から「GIGA スクール構想における高等学校の学習者用コンピュータ端末 の整備の促進について🔗」という通知が発表されました。

これまで、高校の『一人一台』整備に関する進捗は20年度で12自治体、21年度中の整備完了予定が5自治体と、お世辞にも進んでいるとは言えない状況でした。また、GoogleやMicrosoftから無償でプラットフォームが提供されているということもあり、多くの自治体・高校で利用している状況が散見されましたが、BYODの高校がほとんどのため、活用したくても活用しきれないという実情も耳にしました。

「GIGA スクール構想における高等学校の学習者用コンピュータ等の
ICT 環境整備の促進について🔗」
(令和3年3月 12 日)

小学校、中学校と端末を利用してきた子たちにとって、高校でBYODを強制されたり、そもそも端末を使うことがないということは、非情な切れ目であり、小学校・中学校の先生方の努力がうまく引き継がれないという懸念を孕んでいました。そんな中で今回の『一人一台』の発表です。僕個人としてはもちろん、高校での端末利用にモヤモヤを感じられていた先生方にとっては朗報だったかと思います。

今回はそんな『一人一台』についてキャリア教育と絡めながら、つらつらと書きました。
下記も関連が深いと思いますので、是非ともご一読ください。

一人一台によって生まれる兆候

まず、一人一台にすることが是なのかどうかということです。こういう論争は絶対的な答えがないので、十人十色の意見があって然るべきなのですが、小学校・中学校へのGIGAも踏まえ、どういう兆候が予期されるのか。

良さそうなこと
一人一台にすることで、圧倒的に良いこと「学びの境をとっぱらえる」ことです。個人的に『学び』を構成する要素は最低でも3軸だと思っています。
 1.教科性、学問性
 2.樹形的な階層
 3.評価指標
1については軸に学問におけるグラデーションが存在すること、2はそれぞれの学問は樹形的に広がっており、階層構造になっていること、3はそれを学べたか・理解できたかどうかを判断することです。

それぞれの軸同士にも境が存在しますし、軸の中にも境が存在します。
例えば微分積分。微分積分を学ぶためには、極限をはじめとして多くの単元をきちんと理解している必要がありますし、理解のレベルを明示される必要性や、v-tグラフのような物理的側面も知っておく必要があります。

このように、学びには領域的にもベクトル的にも境が存在し、一人でやるには立ちふさがるハードルが高いし見えないという現状にあります。(人によっては自力で登り切ってしまう子もいますが、相当なマイノリティに思えます)
ということは、英語のキャリアに目覚める子がいたとして、その子がキャリアを知覚する瞬間が『学び』におけるものだとしたら、純粋に学校の進度に沿っているよりも、自分で『自由で選択的な調整学習』が出来る方がより早くキャリアに気づく可能性が高いと考えられます。
自己調整学習という言葉がとっくにありますが、それをうまく3次元の世界で実現できる可能性が大いに高まるイメージです。

憂慮すること
一人一台において最も憂慮することは、『情報(リテラシー)の多層化』です。これは懸念で考えれば安心・安全の文脈でもそうなのですが、今回述べたいのは、生徒たちが持っているキャリア像をうまくアウトプットしていかないと、個人個人が抱えている情報が把握しきれないレベルで格差が生まれるかもしれないという話です。

安心・安全については情報モラル・リテラシーをどのように育むかをきちんと考えなければいけないということです。学校・家庭・第3セクターの範疇の話ですね。(下記は参考です)

キャリアに関する『情報の多層化』について
現行のキャリア教育は全員が一律のラインにいるという前提で話が進められているのがほとんどです。(究極的にはそんなことありえないのですが)全員一斉に「進路の話をする」、「オープンキャンパスに行かせる」、「職業体験をさせる」など、計画の展開が一律に行われていました。ただの所感ですが、生徒はキャリアの自覚は遅いものと考えられ、自覚が早いとしても自己行動レベルが低いため、全体の中でキャリアの情報に関する格差が生まれづらいという認識からか一律の展開なのかと思います。(業務量の問題もあります)しかし、キャリアの意識には個々で大きな格差があると僕は思っています。

なので、ここに一人一台が入ってきたときに、今以上にICTを利用したサービスやポータルサイトがどんどん生まれてくる波がやってくるとしたら、生徒が少ない労力で獲得できる情報が一気に増え、『意識の格差=情報の格差』になるかもしれません。そうすると、一律的な授業では対応しきれなくなり、生徒状況をうまくつかめないと、キャリア教育が成り立たなくなるのでは?というのが、今僕が最も恐れていることです。

学習指導要領改訂との関わり

2022年4月から高校において、新学習指導要領の年次進行の実施が始まります。一人一台が最も影響されそうなのが、『情報Ⅰ・Ⅱ』と『総合的な探究の時間』だと思います。

まず情報Ⅰについては、2025年からの共通テストに導入されます。さらに、国公立志望の場合は必須になる可能性が大いにあります。情報Ⅰではプログラミング言語を学ぶ必要があり(学習指導要領では、どのプログラミング言語を扱うか規定していない)、自分の端末があるかないかで学習への有意差が生まれるかもしれません。

共通テストへの導入が2025年と多少ばかりリードタイムはあるものの、不安は拭えないのが現状です。プログラミングのみならず、データサイエンスは文系要素も強いので、例えば、行きたい大学・学部で「情報Ⅰ」が必須であることも容易に想像ができます。そうすると、進路にも大きく影響かねません。情報の学習内容によってはBYODとノート教科書は遜色ないレベルです。そのため、少しでも早い一人一台の整備が求められます。

続いて探究についてですが、探究という授業は『プロセス学習』だと僕は思っています。ある事象に対し、「~である」という結論付けるだけではなく、発見から結論までのプロセスをどれだけ意識することが出来るのかということに重きを置いているイメージです。
探究に関する教材は教科書会社をはじめ、多くの企業・団体が提供しています。なので、一人一台がなくとも授業自体は問題なく進行出来ると思います。しかし、先ほどの『プロセス学習』という文脈ではどうでしょうか?

プロセスを生徒に意識させる場合、どういう経過をたどって今の答えになっているかを言語化することが必要だと思います。ささいなことでも記録していったり、周りとの対話の記録、アウトプットのポートフォリオ化など、多くの要素があればあるほど充実した言語化が発現されます。ここまでをやっていくためにはBYODでも実現するのは難しくないと思いますが、一人一台であるほうが文書やスライドの作成に向いているので、文字以外のイラストなどをまとめるのに適しているかと思います。

どこから始める?一人一台

実際に一人一台がはいったときに、まず立ちふさがるのが「何から始めるべきなのか」という課題です。
僕が考える一人一台のスタートラインは大きく2つです。

毎回の理解評価
一人一台の端末が入るということは、おそらく何かしらのソフトウェアが入っているという前提で書くのですが、毎回の理解評価を自分でしてもらうというのは、とっつきやすく、先生・生徒にとっても負担が少ない使い方だと思います。教科特性にも左右されません。やり方ですが、ルーブリックやフォームのようなものがあればそれでもいいし、正直真っ白な紙をつかうだけで大丈夫です。

いつものプリントを端末で
いつも使っているプリントを端末で配布するというのも大きな一歩です。例えば、化学で周期表を埋める小テストをしたいのであれば、プリントにせずに端末上で簡易に行うことが出来ます。また、社会等ではプリントに書き込む形式で授業進行する先生もいらっしゃるかと思います。そういった場合でも端末で配布することで、生徒がプリントを失くす虞もなくなります。板書したノートを写真で送ってもらい、点検に使うこともできますね。

僕はどこから始めるということにおいて、大事なのは『癖付け』だと思います。普段から使うものという認識を生徒に持たせることで、より普段使いの扱いがうまくなっていくものと考えられます。
ふわっと考えると、下記のようなステップでしょうか。

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絶対的に使うべきという立場ではないですが、使うことの恩恵はいくつか把握しているので、僕が授業で学校に入るときには積極利用をしていくつもりでいます。

さぁ、ニューノーマルへ

ニューノーマルというと、ちょっと大げさな表現かもしれませんが、転換期であるという認識は多くの方がお持ちかと思います。これまでは一律でしか行えなかったキャリア教育も、少しずつ個別最適化の波がぐっと近づいてきます。入試改革も行われ、ぼやぼやしていた高大連携も総合型選抜・学校推薦型選抜におけるポートフォリオを使った入試が出てきたこともあり、傍目から見ても現実味を帯びてきたように思えます。

また、一人一台もそうですが、多くのモノ・コトが高校に導入されていることで、高校ごとの違いが、より顕著に見える時代になってくるかと思います。高校ごとにどういう仕組みでどんな教育を行っているのか、楽しさや面白さに平行して、どのようなプレゼンスを磨くことが出来るのか。などのことが見えるようになり、進学実績を重視されることもあるかと思いますが、進学先の偏差値よりも、コンピテンシ―をもった人材となって、自発的な根拠をもとに大学へ進学しているかなども注目されるタネになりえます。

そうなるのであれば、キャリア教育は未来志向よりも未来に繋げるために「今、なにをするのか」といった内容のコンテンツが必要になるかもしれません。

「未来がどうなるのか分からないのだから、未来なにかにぶつかったときに柔軟な対応をするために、今自分は持てる力をどう発現するのか」といった具合でしょうか。今もアクションプランを作る授業などをしてはいますが、それを継続して追っていったり、モチベーション維持をしたり、自己内省をしていく割合がぐっとあげることが求められます。

アフターコロナはもちろんのこと、多様なスパンで定点マイルを見据えながら、キャリア教育の変遷を掴んでいきます。

最後に

つい先ほど、こんな記事を見つけました。

『親ガチャ』という表現も中々なものでしたが、一人一台による『出身地ガチャ』も中々ですね。たしかにそうっちゃそうなんですけど、これを言葉として叩きつけられると、自分が高校生だったらたまったもんありません。

記事にもあるように2022年度の高校GIGAスクール構想の1年生が大学を受験する3年後には大学側が期待する生徒像や社会が期待する人物像はデジタルネイティブ寄りに変わっているかもしれません。しかし、地域ごとに端末の採用や導入に差があることによって、知らない間に格差を生じているかもしれません。

このような現実をしかと受け止め、自分たちにできることを精一杯やっていくしかないので、今回の『一人一台』もそうですが、同じような課題感を持っている方がおられましたら、意見交換させてください。

”ガチャ”という概念が持たれないように、「もうそんなものはないよね」という認識が生まれるような、ニューノーマルを目指していきたいと思います。

これからの取り組みも、ぜひこのnoteでチェックしていただけますと幸いです。

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