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【お悩み相談5】周りの人たちがキラキラ眩しく見えたら?(moriiさん)
お悩み相談第5弾。
今回はmoriiさんのお悩みにお答えしたい。
moriiさんのお悩みはこちら。
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ふむふむ。同期がみんな優秀そうなんですね。
キラキラ眩しく見えると。
初出社の緊張感や劣等感について描かれた古代の文献としては、『枕草子』の一八四段『宮に初めて参りたるころ』が挙げられます。
![](https://assets.st-note.com/img/1680614694233-RNWVxWA3Uy.jpg)
著者の清少納言は一条天皇の正室である藤原定子(あの道長の姪に当たります)に仕えた女房であり、
「定子さまの謎かけを理解できたのは私だけだったのよ」
などと勝ち気なエピソードを多く書いた人物ですが、初出社のときはギチギチに緊張していたようです。
宮に初めて参りたるころ、ものの恥づかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ・・・絵など取りいでて見せさせたまふを、手にてもえさしいづまじうわりなし。
「これは、とあり、かかり。それが、かれが」などのたまはす。高坏(たかつき)に参らせたる大殿油(おほとなぶら)なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕証(けそう)に見えてまばゆけれど、念じて見などす。
いと冷たきころなれば、さしいでさせたまへる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅(うすこうばい)なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人ごこちには、かかる人こそは世におはしましけれど、驚かるるまでぞまもり参らする。
以下、現代語訳です。
中宮様の御所に初めてご奉公に参上したころは、何かにつけて恥ずかしいことばかりで、泣き出しそうだった。・・・中宮様が絵を私に見せようとしてくれるのだが、私はろくに手を差し出すこともできないほどだった。
「この絵は、ああです、こうです。それが、あれが」などと中宮様が説明してくださる。高坏を逆さにして、その上に灯した火が明るく、私の髪の毛の筋などが昼よりはっきり見えて恥ずかしいが、じっとこらえて絵を見る。
ひどく冷える時期で、差し出された中宮様の手が袖から少し見える。とても艶やかで薄紅色で、この上なくすばらしい。
華やかな宮中を知らない田舎者である私には、
「このようなすばらしいお方がこの世にいらっしゃるのだ」
と目が覚めるような気持ちがして、じっと見つめるばかりだ。
このとき、中宮定子は推定18歳で、清少納言は推定28歳。
突然宮中で働くことになってしまい、右も左も分からない中で清少納言はただただ定子の美しさに戸惑っています。
さらに清少納言は、宮中で働く同僚たちについて言及しています。
人々、唐衣(からぎぬ)こきたれたるほどなど、慣れ安らかなるを見るも、いとうらやまし。御文取次ぎ、立ち居、行き違ふさまなどのつつましげならず、物言ひ、ゑ笑ふ。いつの世にか、さやうに交らひならむと思ふさへぞつつましき。
現代語訳はこちら。
女房たちが唐衣をゆったりと着ている様子が、いかにも手慣れた感じで気楽そうに見えて、とても羨ましい。手紙を取り次いだり、立ったり座ったり、行き交うさまに余計な遠慮がない。物を言い、笑い合っている。いつになったら私もあのグループに仲間入りできるのだろう。それを思うと気が引ける。
あんなキラキラした中宮様にお仕えする同僚たちも、またキラキラして見えるわけです。
自分はひどく遠慮して何もできずにいるのに、周りはみんなリラックスして見えるわけですね。
まあ、新入社員は清少納言一人なので当たり前なのですが。
さて、そんなギチギチに緊張していた状態から、清少納言はいかにして環境に適応できたのでしょうか。
続きを読んでみましょう。
侍ひ馴れ、日頃過ぐれば、いとさしもあらぬわざにこそはありけれ。かく見る人々も皆、家の内出で初めけむほどは、さこそは覚えけめなど、観じもてゆくに、おのづから面馴れぬ(おもなれぬ)べし。
現代語訳はこちら。
お仕えに馴れて何日も過ぎてみると、そんなに大したことでもなかったように思えて来た。こうして見ている女房たちも皆、自分の家から初めて宮仕えに出た当初は、そんな風に思っていたのだなどと、分かっていくうちに、自然と私も馴れていったようである。
つまり、
「みんな最初は緊張してたんじゃん」
ということに気づくことで、自然と慣れていったというのです。
つまり、新入社員は自信がなくて当たり前なのです。
だって、あの平安時代最大の勝ち気キャラで知られ、定子サロンを牽引することとなる清少納言ですら、初出社のときはギチギチに緊張し、何もできずにいたのですから。
周りの一見優秀そうに見える人たちは、単に緊張が見えにくいタイプなのでしょう。自信に満ちているように見えるからといって、それは真に優秀であることを意味するものではありません。
むしろ、新入社員にふさわしい緊張感と謙虚さを備えている人のほうが、高い吸収力をもって仕事を覚えていけるのではないでしょうか。
ちなみに。
本稿を書くに当たって、紫式部についても初出社のエピソードがないか探してみました。
『紫式部日記』に、ほんの1行だけ記述がありました。
初めて参りしも・・・いみじくも夢路にまどはれしかなと思ひ出づれば
(初めて出仕したときは・・・実感がなく夢か何かのようだった)
どうやら紫式部も初出社の日はほとんど仕事にならなかったようですね。
ここから話題が変わってしまうので、紫式部の初出社がどんなものだったのか全く分かりません。何らのエピソードも紹介しないということは、余程ひどい失敗でも仕出かしたのかもしれませんね。