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30年日本史00362【平安中期】前九年の役 黄海の戦い*

 天喜5(1057)年。源頼義と安倍頼時との対決は、目立った動きがないままにらみ合いが続いていました。そんな中、頼義は安倍富忠(あべのとみただ:頼時の従兄弟)を味方に引き入れることに成功します。
 安倍頼時は、敵に引き込まれた富忠を説得するために津軽に向かいますが、その途中、富忠軍の奇襲を受け命を落としてしまいます。奥州の覇者といわれた安倍頼時の、実にあっけない最期でした。
 これにより、安倍家の家督は長男・貞任に継がれることとなりました。
 頼時の死で勢いを得た源頼義・義家は、2500の兵を率いて衣川(岩手県平泉町)へ向かいました。ところが、黄海(きのみ)には、父の戦死に怒り狂った安倍貞任が、4000の兵で待ち受けていたのです。主を失ったばかりの安倍側の兵たちは、実に士気旺盛で、仇討ちに燃えていました。
 安倍側の奇襲により、源頼義・義家は大敗し、敗走します。このとき源氏方は散り散りになり、僅か七騎しか残らなかったそうです。
 大河ドラマ「炎立つ」では、このとき源氏方が敵から逃れるため、安倍軍の鎧を着装して誤魔化そうとした、というストーリーになっています。そこを藤原経清らの軍が通りかかり、経清は相手が源頼義・義家だと気づきながらも、かつての主家筋であったことから、あえて見逃してやるのです。
 源義家はその恩義を忘れず、後に藤原氏にその恩を返そうとするのですが、一方で頼義はそれを屈辱と感じ、経清への復讐に燃えることとなります。
 この話が何らかの文献に基づくものなのか、調べてみましたが、どうも出てきませんでした。原作を著した小説家・高橋克彦氏の考えたフィクションかもしれません。このように、ドラマの中では渡辺謙演じる藤原経清や佐藤浩市演じる源義家がまっすぐな男であるのに対し、佐藤慶演じる源頼義は非常に憎々しい性根の曲がった男でした。
 ちなみに「黄海の戦い」というと、日清戦争や日露戦争の際の「黄海海戦」と混同してしまいますね。ここでいう黄海というのは、現在の岩手県一関市内の地名です。
 康平5(1062)年。新たな陸奥守として、高階経重(たかしなのつねしげ)が着任しますが、源頼義は自らの退任を認めず、陸奥国府を離れようとしませんでした。郡司らまでもが新陸奥守に従わずに頼義に従ったため、高階経重はやむなく帰洛しました。
 陸奥守には、引き続き源頼義が留任しました。無理やりな手段で留任に成功した源頼義は、何とかして安倍を倒すべく、出羽の豪族である清原光頼(きよはらのみつより)に加勢を要請しました。光頼は弟・武則(たけのり)とその子・武貞(たけさだ)らを派遣し、両軍は衣川で衝突することとなります。

大河ドラマ『炎立つ』のDVD第1巻。映っているのは第一部の主人公・藤原経清役の渡辺謙。

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