【日本人の感覚で見ると】ヒトラーのための虐殺会議【発想が怖すぎる】
タイトルから気になったので劇場で観覧してきました。
非常に見応えのある映画でした。
▼ネタバレなし感想:
原題を直訳すると「ヴァンゼー会議」となる。
ドイツでそれなりに教養がある人には比較的知名度が高い会議なのかも。日本だと清洲会議みたいなものかしら。こう言うと三谷幸喜のコメディ映画のようになってしまうから厄介だ。クロックワークスがつけた邦題『ヒトラーのための虐殺会議』で大正解だったと思う。
ただし各省庁から1人ずつ招集された、日本でいう大臣クラスの面々が自組織の立場が有利になるように言葉巧みに議論する様子は、それこそ清洲会議のようだと言えなくもない。たとえば庵野秀明の『シン・ゴジラ』でも内閣の各大臣が自分の立場で発言するのが面白かったりイライラしたりしたが、同じような趣が本作品にはある。
議事録から脚本に起こしたのでほぼ史実。ただし会議が始まる前や、会議に挟まれる休憩中の会話も描かれているので、そこは人物像からの創作だと思われる。
終始BGMなし。普通の映画だと感情や物語の起伏に合わせた劇伴奏で盛り上げるもの(最近の作品で一番わかりやすい例は間違いなく『RRR』だろう)だが、この作品ではそうした音楽の力に一切頼らない。
なのにセリフだけで十分すぎるほど衝撃的というか、聞いててドン引きする言葉の応酬。彼らはあくまで仕事だと割り切って与えられた役割に従って理路整然と論旨を展開していく。話している内容は大変に悍ましいのに不気味である。
しかし、会議参加者は決して馬鹿ではない。むしろマジで爆速なスピードで議論をこなしているのだから全員非常に頭が良い。それもそのはず、彼らはドイツ軍またはドイツ政府のトップなのである。優秀に決まっている。
であれば、この人達だってきっと最初からではなくて、戦争に直面しながら何か人間として大切なボタンを掛け違え続けた結果こうなったのだと想像がつく。だとすれば、これは明日は我が身と思わされて非常に怖い。
そもそもアドルフ・ヒトラーがこの会議に参加してないのが一番怖い。国の最高指導者は「良きに計らえ!」とだけ言って、あとは本人不在の会議で部下が寄ってたかって独裁者サマに配慮して調整を重ねていった出来上がった結果が、かのホロコーストなのである。
これって、やってることが人殺しじゃないだけで、ほとんどの大企業で起きてることだよね?という恐ろしさや気まずさ、あるいは(自己)嫌悪感のようなものが、口の中の砂利のように心地悪くて、だからこそこの映画が面白くもなるし、癒しにもなる。
パンフレットが売り切れていた。登場人物が非常に多いので欲しくなる気持ち、非常によく分かる。私も欲しかった。議事録の内容や、それぞれの言い分が解説されていたらますます読みたいなあ。以下は、一度だけ観覧しての記憶に頼って書くので多少簡素化してある。
▼ネタバレあり感想:
まず前提知識として、1942年当時のドイツの勢力地図を見ておくべきだろう。これは映画の中でも地図を出して見せてくれる。見てわかる通り、ほぼドイツの集中にあり、この範囲全土のユダヤ人絶滅が目的である。
●各省庁の言い分が面白い
まず軍人サイドは共通して過激な人達が多い。ゲシュタポ局長はユダヤ人を憎む感情を前面に出しているし、現場で部隊を指揮している准将や少佐も血の気が多い。場所を提供して「最終処理」を受け持つポーランド総督府次官の「俺の所で汚れ仕事を請け負ってやるんだからお前ら協力しろよ」オーラも凄い。態度に多少の温度差はあれども、現場で実務的に対応している人達の言い分は現実主義で淡々としている点で共通している。
議長:ヨーロッパ中のユダヤ人をポーランド(総督府)に移送して、そこで最終処理をします。その数およそ1,100万人。ヒトラー総統も宣誓でそう仰ってましたから。皆さんそういうことで宜しいですな。
一方で役人サイドは腰が重い。基本的に彼らは懸念材料や「できない理由」を挙げることが多い。軍隊と一番距離の近い外務省だけは話を首尾よく進めようとするが、財務省と法務省と内務省と官房局はそれぞれの担当分野の問題点を出す。
財務省:お金がかかります。そんな予算は四カ年計画で計上してません。
法務省:既存の法律でカバーできず違法になる可能性があります。
内務省:法律を変えるって、数年前に(私が)決めた法律で何がいけないんですか。一口にユダヤ人と言ってもドイツ人との婚姻関係など複雑で、例外案件にはどう対処するんですか。兄弟でも結婚相手の有無で処理対象が変わるとか、国民にどう説明するんですか。(ドイツ人のためにあんなに細かく決めたのに、それを無かったことにされてたまるか)
官房局:現実的に考えて、1,100万人の処刑には単純計算で488日かかりますけど、本気で言ってるんですか。てゆうか、そんなに大量に処刑を執行したら、担当者のドイツ人の精神が必ず壊れちゃうからダメですよ。我々みたいな老人ならともかく、現場で苦しむのは軍隊の若者です。
がんばれ役人サイド!
ここまで何となく、反対している役人達はユダヤ人絶滅に対して人道的な視点から懸念していて、しかしそんなストレートに言うとヒトラー総統に反対することになるので、それぞれの担当分野のツールを使って阻止しようとしているのかな、なんて私は思っていた。牛歩戦術、あるいは慎重論。
しかし結果的に、その読みは外れていた。
今から思えば、私はいかにも日本の政治家っぽい視点でものを考えていたものだと、恥ずかしい気持ちにもなる。
●あまりにも恐ろしい発想
会議が膠着状態になった時に、内務省次官がこんなことを言い出した。
内務省:処刑じゃなくて断種にしましょう。これで長期的に絶滅します。
これには役人達も「それは名案だ」と声を揃える。
会議室は一転して和やかムードに。
ええええ?!私はもうドン引きですよ。
断種ってなに???
去勢手術?
結婚の禁止?
中絶の強制?
妊婦の処刑?
乳幼児の処刑?
なんというか立場や権限を使っての高度な駆け引きじゃなくて、こいつら全員マジでユダヤ人を絶滅させることには異論なくて、シンプルに実現手段がなくて困ってただけだったのね。マジかよ。
●会議を成功させるテクニック
とはいえ、本来の計画からはあまりにかけ離れ、流れが悪くなったので、議長のラインハルト・ハイドリヒ親衛隊大将(国家保安本部の事実上の長官職)は一度会議を中断する。
内務省次官を自室に呼んで二人で話し込む議長。
そして、二人は戻ってくると、先程までの会議室のテーブルと椅子はもう使わずに、皆がタバコ休憩していた別室で全員立った状態で会議を再開する。
この「場の空気を変えるテクニック」や「立ち話にすることで結論を急がせるテクニック」は非常に上手くて面白い。マジで会社の会議あるあるだもん。「事件は会議室で起きてるんじゃない、タバコ部屋で起きてるんだ!」と青島刑事が言ったかどうかは知らないが、とにかく重要な仕事の話はタバコ部屋で決まる、なんてのは企業ではよくあることで。この映画では、まさにそれが起きているのが非常にリアルで面白い。
そして満を持して、それまであまり積極的な発言がなかったゲシュタポのユダヤ人担当課長が口を開く。
担当課長:実は新しい方法を考案しました。最終処理は銃殺ではなくてガスを使います。一度に大量に殺せるのでお金もかかりません。移送後速やかに処理するので担当者はユダヤ人に情が湧くこともありません。さらに死体の片付けもユダヤ人にやらせて、そのユダヤ人も処理に回すので、これまでのように担当者ドイツ人が病むこともありません。
全員:あ、そういうことなら、いいよ。(素直)
こわああああ!
ガスを使ったのは知ってたけど、怖ああああ!
●虐殺を可能にしたもの
なぜ人間はこのような過ちを犯したのか。
なぜ人間はこのように恐ろしいことを意思決定できるようになるのか。
その答えは映画の中で言及された言葉でそのまま炙り出されている。
「ユダヤ人の連行と、刑の執行と、遺体の掃除の担当を分業すれば情も湧かないので問題なく最終処理を実行できます」
人類は業務効率と生産性をアップするために分業化を発明した。
↓
巨大に膨らんだ組織で、分業化が進んだことで、心が失われた。
↓
だから大規模殺戮が可能になった。
↓
つまりは人類が文明を発展させたからこそ、この悲劇が生まれた。
なんたる皮肉。
これは、そのまま会議に参加した14名にも言える。
個人が自分の責任範囲の中だけで「酷すぎないこと」をしていても、全体としては「酷すぎること」ができてしまう。
まさに全体主義の負の側面を描いてる。
●フィクションの余白
この映画が巧妙だと思ったのは、映画にフィクションの余白を「明示的」に持たせていること。
具体的には3点ある。
1)現場で書記を担当した女性を映画の登場人物として出している。
2)議長が「公式文書に相応しく口語体は修正せよ」と指示している。
3)最後の立ち話を始めるときに議長が「ここからは非公式で」と発言。
実はヴァンゼー会議の議事録については、後から戦勝国がでっち上げたものだという意見もドイツ国内には根強くある。会議があったことは認めるけど、ここまで酷いことは言ってない、というニュアンスだ。そういう心情の人達にも逃げるための隙間を与えている所が非常にうまい。
1)あのスピードの議論を彼女がどれだけ正確に記録できたのか。
2)ユダヤ人担当課長が後日に議事録をどこまで修正したのか。
3)そもそも非公式の会議であるとエクスキューズを打っている。
いくら事実を元にしたノンフィクション映画であっても、当該人物の発言や行動に何らかの演出や改編が加わるのは、映像作品にする過程で避けられない。この映画の制作陣はその事実に自覚的であることが受け取れる。
そして、これが一番重要なのだが、本映画のように「ドイツ人はユダヤ人全滅に躊躇がない残虐な民族なのだ」と決めつける態度もまた、最終処理計画を決議した彼らのマインドと表裏一体でもあるのだ。
つまり、これは巧妙な意趣返しでもある。
要するに「ドイツ人=残酷」だとしか考えられない非ドイツ人よ、お前もユダヤ人を憎んでいたドイツ人と同じなんだよ。
了。