ガチ星矢ファンじゃないガチ映画好きが聖闘士星矢The Beginningを冷静に評価する
【この記事はディス目的ではありません。ただしダメだと感じた点は正直に書いてます】
少年漫画の実写映画化は難しいので、私も最初はスルーを考えていたのですが、東映が制作費6,000万ドルを投じたというニュース(日本円換算では77億円と報道)を見て、それなら観ておくかと気が向きました。ドルビーシネマ版があるというのも興味を強めました。
▼総評:
▼あらすじ(ネタバレ):
▼各論:
●ストーリー(脚本)
あらすじに書き出して改めて感じたのですが、このストーリーは120分には少し詰め込みすぎですね。コスモを筆頭にオリジナルの語句も多くて難しい上に、物語のサスペンス要素である星矢の姉の誘拐のくだりが二転三転するので無駄に分かりにくいです。
もう少し短く纏めたかったのですが、論理的に説明するにはどうしても削れない要素ばかりでした。(グラードの両腕の件や、皆大好きマイロックやドクラテスは完全スルーしたのにこれやで)
内容が濃いからこそ、星矢のブロンズ聖闘士としての完全覚醒するまでの物語を真剣に見ていた人達にはとても味わい深い作品になっていると思うのですが、これは諸刃の剣です。マーベルやマリオみたいな頭からっぽで楽しめる映画が流行っている昨今には非常に逆風だと思います。それこそ最初からディスるつもりで観ている人達には殆ど響かない難しさでしょう。
原作漫画を未読の私は、幼稚園児の時にテレビアニメを観ていただけなので、なんとなく「少年が苦しい修行を経験してペガサス聖闘士になりゴールドクロスを取り合うトーナメント戦が始まるまで」の物語を期待していたのですが、かなり趣向が異なって、いきなり復活した神々の戦いに備えて動き出すシリアスで理屈っぽい展開でした。
ちゃんと背景を語ろうとするのは監督はじめ映画制作陣のとても真面目な姿勢ゆえだと思いますが、一方でそもそも原作がぶっ飛んだ設定ですから、熱心なファンでないと着いていくのが大変な内容も多く、一般大衆にアピールしたいなら逆効果かなと思いました。
あまり背景は説明しなくて良いから、もっと『ベストキッド』みたいに少年が特訓して成長する物語にした方が良かったのではないかと思います。実際にテレビアニメ版は第1話で20分もかからずに少年がクロスを入手してるのと比較すると、どうしてもテンポが悪いと感じました。
今回の映画化は新田真剣佑で行くのがアイデアの発端であり根幹らしいので、どうしても星矢が大人になってから聖闘士になるのに十分な理由や動機付けが必要で、それを丁寧に説明しようとする姿勢がアダになりましたね。
いっそマリンとの修行は全カットして、星矢はかつてマリンとの修行を挫折して(修行仲間を救うためとか優しさが原因で)今は地下闘技場で腐ってる若者、くらいで済ませていきなりバトルの連続で、成り行きでクロスを身につけてしまう、くらいでも良かったと思うのですが、おそらく監督はマリンとの修行や会話を実写化したかったのでしょう。そこにも真剣佑を起用しなければならないとなると…うーん、難しい所です。(石を割るときのコスモの説明や、焚き火をしながら話す場面などはとても原作愛を感じました)
私は映画を観た後で、昭和61年のアニメ版と令和元年のNetflix版のそれぞれ1話だけ視聴しましたが、今回の実写映画はNetflix版の再構築という感じですね。Netflix版もまた少年時代を描いていますが、いきなり姉誘拐シーンに始まって、アテナの復活も含めて、30分間ずっとシリアスに物語が展開します。この情報量はねえ…原作をよく知ってる人に向けた作りなのよ。(困惑)
●演出
アメリカでの映画化に際して、主人公が連れ去られるのは成人後だったり、黒幕が男二人組(城戸光政&グラード)から男女夫婦に変更されていたりなど、時代の影響なのか興味深いと思いました。
ツッコミどころは結構多かった印象です。リアリティラインのことはこの際すべてスルーしますが、演出意図がよく分からないものも多かったです。
なぜ星矢が最初にクロスを装着したときに、記憶のフラッシュバックが起きたのでしょうか。
いつ発動するか読めないアテナの力を隠すために特殊装備の屋敷に住んでて「私にとっては牢獄よ」とまで悲劇のヒロイン感を出していて、その直後のシーンで屋敷の外の海岸まで散歩してるのはズッコケました。(笑)
シエナが作ってくれたお弁当を、修行初日に崖から落とす演出はマジで胸糞だから止めてくれと思いました。(笑)
マイロックが強すぎです。別に強いのは良いですけど、あそこまで長尺で格好良く見せる必要があったのでしょうか。(困惑)
●キャスティング
真剣佑は素晴らしかったです!
時折見せる表情が千葉真一にそっくりで感慨深かったです。
でも、なぜ星矢の姉は日本人じゃなかったのでしょうか?(笑)
さらに、城戸アルマンの人種と名前が理解不能でした。(笑)
ネロ役の人はもう少し身体が大きい人が良かったです。
しかし一番残念だったのはシエナです。パープルのウィッグが似合ってなくてコスプレ感が強かったのも残念ですが、それ以上にギリシャ人の女優を使ってほしかった!演じていたマディソン・アイズマンはアメリカ南東部出身のいかにも混血アメリカ人(イギリス系をベースにほんの少しだけ別系統を混ぜた感じ)という顔立ちをしており、正直アテナの服装があまり似合っていませんでした。ギリシア人は本来もっとラテン系やアラブ系の血が強い顔で、イギリス人とはまったく別物です。
人種にこだわらないどころか家族でさえ敢えて人種を混ぜこぜにするメチャクチャっぷりが最近のポリコレ的な流行ですが、この作品にもそういう圧力が働いたのでしょうか。だとしたらちょっと嫌な気分になりますね。
あと白人女性が前髪を作ると一気にコスプレ感が出る(レディ・ガガみたいになる;成人女性が前髪を作るのは日本や韓国などアジアに独特な文化)ので、アテナの髪型を完全コピーするのは悪手だったと思います。
●画質
追加料金を払ってDolbyCinemaで観覧しましたが、あまり色彩に深みを感じることができず、エンドクレジットではDolbyAtmosのロゴだけだった(=DolbyVisionが無かった)のでHDR対応していない可能性が高いです。
画質は4K程度に精細なようには見えました。フォーカスとコントラストが甘めだったのであまりパキッとした画ではなかったですが。とはいえ通常上映のDCPは2Kらしく、IMDbでもマスターは4Kだと明記されているので、この点はDolbyCinemaに優位性があると言えそうです。
ただし同じ劇場の同じ席から観たマリオの方が鮮やかで心地よく見えたので、やはりDolbyVision非対応なのは痛手というか、追加料金を出してまでドルシネにこだわるべきなのかは怪しい作品だと思いました。
●VFX
悪くないですが、正直めちゃ良いとも言えません。DCやマーベルでハイクオリティなCGが当たり前になった現在では特に。結局のところVFXはいくら金をかけたかで良し悪しが決まります。CGのレンダリング作業に用いるPCとアニメーターをどれだけ大量に用意できるかなので、VFX制作会社に出資できる金額が大きいほど有利になるからです。
前述の通り、聖闘士星矢は6,000万ドルという日本映画の10倍以降の制作費なので、当然CGのクオリティは比較にならないほど高いです。シン・仮面ライダーやシン・ウルトラマンのような画の貧弱さは殆ど感じません。しかし、それでも現代の観客はDCやマーベルの超ハイクオリティに慣れていますから、それらと比べると物足りない部分はどうしてもあります。
例えばスナイダーカットはすでに完成していた映画にVFXを追加するだけで7,000万ドル投じた(厳密には音楽制作と簡単な追加シーンもありましたが割合的にはかなり小さいでしょう)ので、あの超絶ハイクオリティのCGキャラが実現しました。東映は「頑張ったけどまだその程度だ」というのは念頭に置いても良いでしょう。
世間で「CGがショボい」とディスっている人達の多くは、ここらへんの金銭事情をよく知らないように見えます。聖闘士星矢The Beginningは予算相応のクオリティではあります。例えるなら、街に普通にある一般的な焼肉屋に行って「叙々苑や牛宮城より不味い」と文句を言うのと同じくらい野暮です。(なお普通の数億円規模の日本映画は松屋やセブンイレブンの弁当くらいになるでしょう)
●アクション
まず素直に、アクションは全体的に良かったと思います。カンフーアクションも、カーチェイスも、火薬を使った爆発も、どれもちゃんと金をかけて丁寧に作っていたのが見て取れました。
新田真剣佑も素晴らしかったです。彼の甘いマスクと、日本人離れして鍛え上げられた肉体は、誰にでも表現できるものではないでしょう。最後なんてクロスが解けてほぼ裸になりますからね。(笑)
CGが絡むシーンはあまり上手くないと思いました。それまで肉弾戦で発揮されていたテンポ感が、CG利用になった瞬間に悪くなってしまうのが惜しかったです。これは撮影時や編集時にそれなりに経験値やスキルが必要(全てのクルーに作りあがりのビジョンを共有させられないと的確な作業ができない)なだけでなく、VFX制作会社への発注時にも説明力が求められるので、本作ではあまり恵まれなかったのかもしれません。
監督の説明スキルが神レベルでなかった場合でも、一度モックを作成して、そこから差し戻して修正するという工程を重ねればクオリティが上がることは期待できますが、それは前述した通りで制作費によって回数が決まるので、今作ではここまでが限界だったと思います。
カンフーアクションは映画がオリジナル要素になれるので高評価を得られやすいですが、コスモを使った光線の絡むバトルでは原作漫画やアニメが比較対象になるので、どうしても求められるレベルが上がってしまいますね。
CGとカンフーを組み合わせて高レベルなアクションを実現した映画としては『シャン・チー』が筆頭になるでしょう。こちらは制作費が1.5〜2億ドルと言われており、実に本作の3倍です。つまり、そういうことです。(涙)
●クロス
私は幼稚園児の頃にアニメ版を観て育ったので、本作のクロスのデザインには違和感がありました。
しかし実写映画版の聖闘士星矢でクロスのデザインが変更されたのは、原作やアニメに寄せたら車田正美先生からNGくらったという経緯らしいので、クロスのデザインについては不満を言わないことにしました。
クロスのデザインもコンセプトに基づいて脱構築して、実際の甲冑を元に作り直したということで、生身の人間がアクションをする際に自然にマッチしていたと思います。
でも正直、観ていて納得感があったのはマリンでした。
いや、これは服装よりも顔がマスクで同じだったからかも。(笑)
人造人間キカイダーの趣もありますね。
どうでもいいけど、これ撮影時にはどうやって視界を確保してたんでしょうね。眼球だけ後からCGで描き足したのかしら。
●仲間達
キグナス氷河、ドラゴン紫龍、アンドロメダ瞬も登場させてほしかったです。匂わせさえも無かったのは寂しいですね。
瞬は冗談抜きでクィア設定にしてほしいです。別にセリフなどで声を大にして宣言する必要はないですが、視聴者の誰もが察するくらいにはそれっぽい言動を取るくらいの演出で。Netflix版みたいに制作側がヒヨって女性に改編するようなことが無いように祈ります。
▼ぼくのかんがえる最高の映画用脚本:
さて。ストーリーにダメ出ししてしまったので対案を書いておきます。ご査収ください。
>>星矢は地下闘技場で稼ぐ荒くれ者。圧倒的な実力だが、なぜか優勝はできない。そんなある日サイボーグ軍団から命を狙われるようになる。実は星矢はかつて聖闘士になるために修行したコスモの使い手で、理由があって修行を中断してアメリカに逃げてストリートファイトで稼ぐようになっていたのだ。優勝できないのは、実は目立ちすぎないようにわざと負けていたのだが、それも遂に見つかってしまった。そこにアルマンが現れて、他の聖闘士が次々とグラード財団に殺されていると聞かされる。しかも一部の聖闘士はグラード財団に協力しており、そこにはペガサス聖闘士のカシウスも含まれている。アルマンは星矢にペガサスの星の下に生まれた運命を受け入れて聖闘士になれと諭す。星矢はギリシャへ旅立ち、なんだかんだで過去のトラウマを克服し、ペガサスクロス(不完全)をまとったカシウスを倒しペガサス聖闘士(完全体)になって、同じくグラード財団配下のフェニックス聖闘士(完全体)のネロと戦う。<<
うん。2時間にはこのくらいが適量でしょう。(笑)
正直、マリンとの修行をMackenyuに演じさせることに拘ったのが最大の敗因だと思います。それが脚本を複雑にしています。パトリシアとアテナの件も削れると思います。深掘りするのは続編からでも良かったでしょう。それが私の意見となります。
了。