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ミモザの候 19: 吹き寄せあられと白桃
7月のある日、父は一時帰宅をした。介護士Uさんとも彼女の右腕となって働いている介護士さんを引き連れ、VIP待遇で戻ってきた。
それはわずか2時間ほどの帰宅だった。しかし、この日に向けた父の想い、介護士さんたちの想い、家族の想い、それぞれがぎゅっと凝縮していた。
私自身、ありえないことが起こっているのだ、奇跡を目にしているのだという震える空気に包まれていて、それもあってか、家族としてふるまう自分をどこか演技をしているかのようにも感じた。
父は、1年6か月ぶりに自宅に戻った。
その日の父は「よそゆき」を着ていた。
前月に生死の淵をさまよった父の、あの萎えた気力をいったいどんな魔法を使ってここまで回復させたのだろうか。私は、正直驚いた。
父の「家に帰りたい」というたった一つの願いと、多くの介護士さんたちの「家に帰れるように...」という想いがこの日に結実したのだった。
いったい、どれだけの有形無形の努力が積み重ねられたのだろうか。
介護士さんたちの晴れ晴れしい様子、その朗らかさのなかにも、時折、彼女たちの緊張が伝わってきた。
父は緊張していた。車いすを押され、玄関を入り、そのまま仏壇がある座敷へ通されたのだが、表情を変えず、ぐるっとあたりを眺め、なにやら考えているようだった。ゆっくり、とても静かに記憶の頁をめくっているようだった。
そんな父の傍らで、初夏の暑さと車いすを抱えたり押したりして汗だくになった介護士さんたちと家族は、近況報告を面白おかしくやっていた。
ナビをたよりに運転してきた彼女たちに父が道案内をしたと聞いて、主としての父のプライドのようなものを感じた。
さて、記憶が今に追いついたのだろうか、やがて父の顔に表情が戻った。ところが、父は仏壇を目にしてとても嫌な顔をした。
ひょっとして、ブラックジョークとしてとった?
まずはご先祖様に挨拶をしたいだろう、という家族の思いやりは、どうやら今の父には通じないようだった。暑さを言い訳にして、一行はそそくさとクーラーのない座敷から退散した。
前日の夜は真夏の大掃除だった。車いすを移動させやすいよう空間をつくるだけでなく、いろいろと掃除が行きとどいていなかった我が家に、なんと「お客さん」が来るのである。
なによりも、父の一世一代の晴れ舞台だ。
私は、父の帰宅はこれが最初で最後になるだろう、と薄々感じていた。嬉しさと寂しさと悲しみとが入り混じっている気持ちの中から喜びを呼び出して、自分の気持ちを先導させていた。
マホガニーの六角形のダイニングテーブル。いつもの定位置に車いすは収められた。父の顔にはみるみる生気が戻った。どこか誇らしそうだった。
父は、介護士さんたちへのお茶請けの吹き寄せあられに手を伸ばした。いろいろな味と形をした小さなあられを口に運んでもらい、バリバリと音をたてて全部食べた。
次に、母が用意していた白桃。のどに通りやすい熟したものが、なぜかいつもの大きさで、カッティングの綺麗なガラスの器にだされた。ひとつ、母が口元に運ぶと、父はもぐもぐと大きく頬張ってにっこりした。そして、あっというまに3切れすべてを平らげた。
くいしんぼう、全開である。それはいつもの見慣れた父だった。
皆はお茶も飲まずに父の様子をただ眺めていた。
こみ上げてくるものがあふれださないか、恥ずかしいような、嬉しいような、そんな想いを隠すように、私たちは時々冗談を言いあっていた。
お茶を口にして、大きく一息ついて、父は「あ・り・が・と・う」と言った。
ゆっくり、声を絞るようにして、はっきりと、一つひとつ、全身で言った。
私たちはその日初めて父の声を聞いた。
一瞬、沈黙のベールがその場を覆った。
お茶を飲ませるために身をかがめていた介護士Uさんは、顔を伏せた。家族はそれぞれ、こみ上げる涙を陽気に変えた。もう一人の介護士さんは、自分の前髪を整えるように体の向きを変えた。
その場にいた誰一人、涙を流さなかった。クーラーの風が高ぶる気持ちをなだめていった。
あっという間だった。
私たちは玄関で家族写真を撮ってもらった。
門扉を出て、しだいに父の姿は遠ざかっていく。施設のワゴンを駐めた場所まで、車いすは時々立ち止まったりしながら、ゆっくりと進んでいった。見慣れた景色をまるでじっくり記憶にとどめるかのように、じっと父は眺めていた。
ワゴンのところで軽く挨拶をかわした。父に対してふと発せられた「また、かえってこようね」という介護士さんの言葉、それが単なる修飾語だということを誰もがわかっていた。
案の定、ワゴンのドアが開けられると、突然父は騒ぎ出した。帰りたくない、と。
介護士Uさんは、見送っていた私たちに急いで立ち去るよう手で合図をした。彼女たちは毅然としていた。ささっとドアが閉められ、車は急いで発車した。
私は、見てはいけないものを見てしまったように思った。
やはり、今日のあの時間は奇跡だったのだ。
父の「ありがとう」が忘れられない。あの家族写真はまだ見られない。
2019年7月
2022年9月18日 記