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ミモザの候 15: 父と息子

父と弟には長く葛藤があった。私には詳しいことは分からないが、いつの頃からか、互いが言葉を交わす場面を見かけることはなくなっていた。今思うと、些細な行き違いがそのままになって、その年月がいつのまにか積み重なって、声を掛け合うきっかけをお互いに失ってしまったのだろう。なんとなく居座っている空気は、どちらかというと、弟の頑なさが支配しているようにも傍目には感じていた。

幻視や妄想の不安が日に日に大きくなっていき、父の日常が明らかに変わっていったあの頃、月に2度は帰らないとダメだ、と私は時間をみつけて実家へ通った。入浴や排せつなどの身の回りのことはかろうじてできていたが、とにかく不安障害が大きく、何をするにしても父は絶えず誰かを探していた。睡眠時間も短くなり、食事にもムラがでて、薬を飲むことさえも一仕事になっていた。幻視を見て妄想に駆られ、不安が不安をよび、父はしだいにその世界の住人になっていった。

幾種類かの薬、不安をなだめるために処方された漢方のお茶、そして、体力を維持するために時々受ける点滴が、この戦に立ち向かうために父と家族に与えられた武器だった。

まったく、チャンピオン級の強者を相手にした、ささやかな素人の猫パンチだ。

それでも、大波に身を任せるしかない小舟のように、日常は大嵐のなかをひらひらと進んでいった。

その頃、ときどき父は、まるで思い出すかのように、私に気持ちを吐露することがあった。それはきまって父を寝かしつけるときだった。ベッドに誘い、横にならせて、布団をかける。

父は、目を閉じようとしない。怖いから。私がいなくならないように、とつとつと話を続ける。うん、うんと私は聞いている。

父はいくぶんか心安らかだったのだろうか。束の間、見慣れた父に戻っていた。

あれは「父」としての彼からの遺言だったのだ、と私が気づいたのは、父の世界がひとつくるりと回ってからのことだった。

さて。警官6人に「逮捕」され、深夜に病院に「連行」された翌日。緊急事態でかつ、いつもとは違う病院ということでかなり強い薬を処方されたのだろう、父は昼過ぎまでぐっすり眠っていた。普段とは正反対の様子に家族が心配するほど、それはそれは静かに、固く眠っていた。

突然、どたんっ、と大きな音がした。

急いで駆けつけると、床に父が倒れていた。トイレに行こうとしたらしかった。しかし、薬のせいで体がたたない。母と私で父をトイレへ運ぼうとするが、まったくダメだった。いつもなら多少機嫌が悪くなる父だが、これも薬のせいで、穏やかだった。

トイレに父を運ぶことをあきらめた母は、「もう、ここでやって。かまわんから」と祈るように父に言い、バスタオルをたくさん持ってきて床に敷いた。

しかし、父は、決してそうはしなかった。

そこに、弟が呼ばれた。

前日の修羅場を、弟なりに、いや皆それぞれが、咀嚼しはじめていた。

弟と私で父の両脇を支えトイレの前まで運び、母が持ってきた椅子に座らせた。それは、私たち姉弟が昔その昔使っていた、くるくると回して高さを調節するタイプのピアノ椅子だった。背もたれのないその椅子に座る父の背中を私が後ろから支えた。父は穏やかだった。

私の記憶は定かではない、父は結局、用を足したのだろうか。トイレは結局、気のせい、だったのだろうか。とにかく、パンツをはき替えさそうとしていたときのことだ。

ちなみに、パンツとか、こうした類の主導権は同性がもつのが常で、また力が必要なこともあって、このときの場の主導権は弟がもっていた。

さて、母が急いでとってきた替えのパンツは父には大きかったらしい。脚を片方ずつくぐらせぐぐっと腰まであげたパンツの隙間から、どうやら、父のプライベートがこぼれたようだ。

「おやじぃ~!」と弟があきれたように笑った。

となりで、母も何とも言えない顔で笑った。

背中を支える私も、その様子に笑った。

覗き込むと、父も恥ずかし気に笑っていた。

トイレの前の廊下に座り込んで、私たち4人は笑った。同じものを眺めて、同じものに笑った。想像したこともない世界だったけれど、確かに、私たち家族は同じ世界にいた。少し、悲しかったけれど、嬉しかった。

それは、父が、弟に「家」を託した瞬間だった。

その夜、父は「脱走」して、それから1年半の間自宅に戻ることはなかった。

その日を境に弟は変わった。医師とのやりとりに彼も必ず同席するようになった。

弟はみるみる変わっていった。父が施設に入居してからは、必需品は、衣類以外、すべて弟が買いそろえ、事務的な連絡事項も弟を中心にやりとりがなされた。

母と私は、それをあえて彼に託した。間違いなく、弟にとっては、父と対話する最後のチャンスだ。これを逃すと彼は一生後悔することになるだろう、と。

そして、施設という場もまた、弟の頑なさを解いていった。

家族としての、愛おしい時間が流れていった。

父が亡くなる半年ほど前だろうか。面会からの帰路、車中の話題に乗じて、私はそれとはなしに伝えた。「あの子は、何も言わないが、しっかりしているんだ...」と天井を見つめて言った父の言葉を。

弟は、ほんとうに立派に、父の葬儀の喪主を務めた。

2018年2月~2020年2月
2022年9月14日 記

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