続けることで見える景色【就職アドバイザー紹介-中野桃菜-(前編)】
今回ご紹介するのは、ジェイック就職カレッジのアドバイザーとして活躍する中野桃菜。
誰に対しても着飾らず、親しみやすい雰囲気でフラットな意見を伝えてくれる中野は、就職相談の評価アンケートで高評価をキープする人気なアドバイザーです。
前編では、学生時代の部活を通して学んだ教訓や、新卒就活で掲げていた軸について語ってもらいました!
友人の顔色を窺い続けた小学生時代
家では、ひとつ年上の姉を真似して色々なことに興味を示す、好奇心旺盛な子供でした。
ただ学校では、クラスの中心的存在だった女の子の顔色を常に窺う、思っていることを素直に言えない小学生時代を過ごしました。彼女はクラスの女子全員の行動を、たった一言で変えられるほどの、発言力がある存在でした。そんな子と小学校6年間同じクラスだったので、学校では常に彼女の顔色を窺って遠慮をし続けていました。
自分の思っていることを言えない学校生活だったので、唯一自分から「やってみたい!」と言って通っていた、英語の習い事だけが日々の楽しみでした。
流されるがままにソフトボール部へ
中学ではソフトボールの部活に熱中しました。母の中学時代の担任がソフトボールの顧問をしていたこと、そして隣の席のクラスメイトから「一緒に入部しようよ!」と、誘われたことがきっかけです。
今だから本音を言うと、入部を誘われた時は正直断りたかったです。私は器用なタイプではなく、どちらかと言うと運動音痴だったので、自分がソフトボールをしている姿を想像できませんでした。
ただ、小学生の頃から常に周囲の顔色を窺っていたので、「NOと言えない…」と、ネガティブな気持ちで渋々入部することになりました。
入部したからには頑張りたい
渋々入部したソフトボール部は、地元横須賀で2位、県大会でもベスト8位を獲るほどの強豪チームでした。ただ私は運動音痴ゆえに下手すぎたので、入部して最初の3か月間は、他のメンバーと同じメニューで練習をさせてもらえませんでした。
下手な自覚はあったので、「みんなに混ざって練習したら怪我してしまう…」と最初は受け入れていましたが、それでも「入部したからには頑張りたい!」と、一生懸命に練習しました。すると徐々にソフトボール自体が楽しくなってきましたし、最終的には試合に出られるほど成長しました。
初めての部活、しかも強豪チームでの練習はとてもきつかったので、途中何度も「退部」の一文字が頭をよぎりました。ただ、今までせっかく頑張って練習をしてきたからこそ、「今ここで自分からソフトボールを取ったら何も無くなってしまうのではないか?」と焦る気持ちがあり、結局引退まで頑張り抜きました。
どんなに大変でも、後から振り返ると得られるものがある
ソフトボール部での練習はとにかく大変できつかったですが、続けていて良かったことはたくさんあります。
ソフトボールそのものを楽しめるようになったことはもちろん、父が元々野球をやっていたので、「キャッチボール相手ができて嬉しい」と喜んでもらえました。そして同期や先輩にも恵まれたことで、小学生時代とは一転して、居心地の良い良好な人間関係を初めて築けました。
だから「どんなにつらい環境でも、辞めずに続けることで後々楽しさを見出せて、得られるものがある」という教訓を得ました。今振り返ると「流されるがままに入部したけれど、やってよかったな」と思います。
高校でもソフトボール部へ
高校へ進学しても、ソフトボール部に入部しました。ところが、入部したチームは部員数が定員割れしていて、同期も自分ともうひとりしかおらず、先輩も初心者の集まりでした。中学では地元横須賀で1.2位を争っていたのに、高校では横須賀で1番弱い状態からスタートしました。
そんな環境下で練習も生ぬるかったので、最初は「やっているのが無駄だな」と、退部も考えました。
やれることをやり切る
ただ、自分が辞めたら同期をひとりにさせてしまいますし、中学時代に「続けていれば得られるものがある」という学びを得ていたので、結局「引退するまでやり切ろう」と決めました。だから高校最後の試合に出るために、出場に必要な人数をかき集めるところから始めました。
試合に出られないと話にならないので、いろいろな子にとにかく声を掛けまくりました。昔ソフトボールをやったことがある子や、球技系の運動部に所属している子。最終的には「運動部なら誰でも!」と、テコンドー部に所属している子にも声を掛けて回りました(笑)
諦めずに最後まで向き合えた
声を掛けた子達に、「一度でいいから試合に勝ちたい!」と熱弁し、無事に即席の助っ人チームを作れました。結果として試合には勝てませんでしたが、助っ人メンバーと一緒に練習を頑張ったり、私の誕生日を祝ってくれる関係性になれたりと、諦めずに目の前のことに向き合えた経験は、今でも忘れられない思い出です。
充実した高校時代
「つらいことでも続けてみると見える景色がある」と学んでいたので、部活のかたわら、スピードとマルチタスクを両方求められるファーストフード店でアルバイトもしました。正直今でもマルチタスクは苦手ですが、当時はもっと苦手だったので、「この職場は自分には合わない」と思っていました。
ただ、「まだできることがあるかもしれないのに、今うまくできないからやめること=逃げ」だと思っていたので、「どうせなら自分でやり切ったと思ってから辞めよう」と向き合った結果、結局大学3年生まで続けることができました。
後から振り返ると「続けてよかった」と思える
ソフトボール部も飲食店のアルバイトも、当時は大変なことが多かったですが、今振り返ると「やっていてよかったな」と思います。
社会人となった今、仕事で大変なことがあっても「部活の練習よりしんどいものはないな」と自分を奮い立たせられますし、日常で少し変わった方と接することがあっても「アルバイト時代にもっと変わったお客様がいたな」と笑い話に変えられます。続けていたからこそ、後から何でもプラスな出来事に変えられると思っています。
自分で進路を考えて国際学部へ
小学生の頃から習っていた英語でコミュニケーションをとることが好きだったことと、発展途上国のテレビ番組を見たことがきっかけで、「もっと世界を知りたい」という想いで、国際学部のある大学へ進学しました。
ちなみに高校も大学も、自分で進路を考えて入学を決めていたので、在学中は後悔が無かったですし、学校生活を楽しめた秘訣は「自分で決めたこと」にあると思っています。
だから、今アドバイザーとして求職者の方と接するときは「自分で決めて選択していただくこと」に重きを置いて関わっています。
一番濃厚だった大学時代
様々な視点から物事を考える大切さを学んだ大学時代でした。
「いつかカンボジアへボランティアに行って、学ぶ機会が無い子供達に勉強を教える方法を知りたい」と思い、中高の教員免許も取得しました。
また、世界について学べば学ぶほど「日本のことも知らない」と、自分の無知さに衝撃を受けので、当時被災したばかりの東北地方へボランティアしに行きました。
被災者に関わることで気付けたこと
東北のボランティアをする中で、「人には言えないけれど、心に傷がある子供達」と、過去に人間関係で悩んでいた自分の経験を重ねるようになりました。第三者の自分だからこそポロっと気持ちを教えてくれたり、自分を信頼して話してくれる子供達を見て、「私も誰かに助けてほしかったんだな」と、過去の自分に寄り添えるようになりました。
だから、自分の本音が言える居場所作りや、自分の人生を自分で選択できる環境を作りたいと考え、教育に興味を抱くようになりました。
マイナスをプラスに変える支援がしたい
そして、何度か被災地のボランティアに参加することで、「現段階でプラスな状況にいる人を更に伸ばす支援よりも、悩みを抱えている状況の人をプラスに変える支援がしたい」と、考えが固まっていきました。
この軸で就活をした結果、「チェンジプロモーター」という理念を掲げて採用をしていたジェイックに入社を決めました。
【続編に続く!】
学生時代を通して「大変なことも、続けることで得られるものがある」と教訓を得た中野。後編では、「悩んでいる方をプラスな状況に変えるサポートがしたい」という想いで入社したジェイックでの、就職アドバイザーとしての活動に迫ります!
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後編はこちら!
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