安岡章太郎の「悪い仲間」と「陰気な愉しみ」
今年岩波文庫で出版された『安岡章太郎短篇集』には1953年に芥川賞を受賞した「悪い仲間」も「陰気な愉しみ」も何故か収録されていないのは、1989年に講談社文芸文庫で既に出版されているからだろうが、図書館で『安岡章太郎集 1』(岩波書店 1986.6.18)を借りて改めて読んでみた。
「陰気な愉しみ」の初出は『新潮』昭和二十八年四月号である。七年前に軍隊で背中に受けた傷がもとで病気になった主人公が月に一度年金を貰いに横浜の役所に出向く生活をしている。「わざと自分のなかに思いッきり卑屈な感情をみつけ出し、体中に屈辱感をいっぱいつめこんで帰る(p.144)」ことを陰気な愉しみにしているのである。
最後に主人公は「婆さんの靴磨きや」を思い出し、半年も磨いていない自分の靴を磨かせてやろうと訪ねるのであるが、婆さんの靴の磨き方は主人公の想像を絶するものだった。「婆さんはいっかな私をはなさなかった。モンペの股で木の台をはさみ、頸と肩とを私の脛におし当てて、跳ねようとする靴を舐めそうにしながら磨いている(p.152)」のである。主人公の目論みは外れたとしか言いようがない。卑屈になりながらも主人公は「マウント」を取ろうとしていたのである。
『悪い仲間』の初出は『群像』昭和二十八年六月号である。「シナ大陸での事変が日常生活の退屈な一と駒になろうとしている頃(p.157)」、大学部の予科に進学した主人公は夏休みに神田のフランス語の講習会(アテネ・フランセ?)に通った際に、朝鮮の新義州の出身の藤井高麗彦という、京都の高等学校に通っている学生と知り合う。主人公は窃盗や覗きやストリップなどを藤井に教えられ新しい世界を垣間見ることになり、藤井が京都に帰ると主人公は北海道出身の同級生の倉田真悟に藤井に教えられたことを教えて得意になる。ところが藤井が京都から戻って来て主人公の家を訪れた際に、倉田と出くわして二人も友達になってしまう。
再び藤井が京都に戻ると主人公と倉田は頻繁に文通をすることになり、三人はお互いに「悪」を高め合うことになり、そうなるとそれぞれの親の言動がいちいち気にいらなくなり家に帰らなくなる。しかしそのような「冒険」は一度目はともかく二度目になると刺激が少なくなるのだが、沈殿してしまう主人公の行動とは裏腹に藤井の手紙は過激さを増してくる。主人公は進学できるかどうかが気になりだし、倉田を脅して勉強に励もうとするが、やがて倉田はいなくなり、主人公は藤井の手紙を無視した。だからと言って主人公が真面目に勉学に取り組む訳ではなく、「悪」に対する憧れも残っているのだが、それが「『新体制』時代のモラルにもとづく様々の架空な行事(p.178)」とシンクロするように感じ、ついに二人との関係を断つことにするのである。
安岡章太郎の1951年の最初の芥川賞のノミネート作品である「ガラスの靴」(『安岡章太郎短篇集』収録)は女性に対する憧れと疑惑のない交ぜが描かれている。1952年には「宿題」と「愛玩」(獣医官だった無職の父親が買って来たウサギを巡る話。『海辺の光景』収録)で連続してノミネートされ、1953年に受賞に至るのであるが、個人的には受賞作無しとされた第27回芥川賞を「宿題」で受賞しても良かったように思う。