フェイブルマンズ【Jシネマレビュー#35🎬】
スピルバーグ監督の自伝的作品との触れ込みで日本上陸した本作品🎞
良い意味で想像とは違う内容に驚きを感じましたし、映画人の巧さを見ることもできました!
映画館はなんと2人しかいない空間で、独占して鑑賞してきました😆
↑あくまで個人の感想です
・内容 16
・演技演出 17
・視覚効果 13
・音楽 17
・エモーション 17
スピルバーグ監督の自伝的作品ということだったので、彼の成功体験が描かれることを想像していたのですが、予想とは全く違うシリアスな展開でした😲
70歳を超えてキャリアも終盤に近づきつつある巨匠が、葛藤や夢を抱いた自身の若かりし頃を素直に振り返る、良い意味でシンプルな作品でした。
もちろん名タッグと言われたジョン・ウィリアムズの音楽が効果的に使われていたり、暗喩的な表現も随所に見られたりと、映画作品としての巧さも楽しめるのですが、内容としては単純で理解しやすいと感じました!
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"「映画」という芸術世界で生きること"
⚠️ネタバレがあるのでご注意ください。
本作では、スピルバーグ監督の幼少期から大学進学までのできごとをサミー・フェイブルマンという架空の人物へ投影し、物語が作られています。
論理的で技術者の父と感情的で芸術家の母から生まれたサミーは、芸術表現とビジネスの難しさを目の当たりにしながら成長していくことになります。
クセのある両親であるだけに、対立することもよくあり、そこにサミー含め子供たちも巻き込まれていく、少し可哀想な幼少時代が写されていました🥲
スピルバーグ監督は、敢えてこの幼少時代をありのままに描くことで、巨匠と呼ばれるにまでなった自分自身でも、昔はこんな時期もあったということを赤裸々に伝えているのかもしれません。
そして、そのエピソードの一コマ一コマが、今の映画人としての表現力に繋がっているということなのでしょう。
サミーの祖母が亡くなった時に訪ねてきた祖母の兄の「芸術と家庭を両立するのは難しい」という言葉が印象的でした🤔
たしかに、フィルム撮影をしていたら母親の不貞がたまたま写ってしまったり、高校の卒業作品では、自身が良かれと思って撮った同級生が現実との違いに涙したり、撮影時に恋仲にあった彼女は作品上映時には最悪の関係性であったりと、なかなかひとつうまくいかない印象でした。
波乱万丈な青春期を生きたスピルバーグ(サミー)が、キャリアの終盤にきて、両親亡き今に、彼らに感謝を伝えるとともに、彼の映画人としてのエッセンスがどんなものであったかを鑑賞者に伝える一作品だと思いました。
”地平線が上か下なら面白いが真ん中はつまらない”という、最後の巨匠ジョン・フォードからの言葉が、サミーに、そしてスピルバーグ監督に響いたに違いありません。
もちろん、映像技術の話ではあると思うのですが、私たちはこの言葉を飛躍して考えて、人生に置き換えて考えてみると面白いかと思います。
”映画館で映画を観続けたい”
チャプター2では、本作の内容からは少し離れた視点で映画について考えてみたいと思います。
Netflixをはじめとして、配信コンテンツが充実してきたこの時代に、スピルバーグ監督もその変化を意識しているように思います。
昨年のウェスト・サイド・ストーリーでは、若手俳優を華やかにキャスティングし、軽快な往年の音楽に乗せ、「映画は映画館で観るべきだ」という思いを鑑賞者に改めて抱かせてくれました。
しかしそれは、裏を返せば、”配信時代”を意識したスピルバーグ監督の葛藤でもあると感じました。
有名画家が晩年になって描いた自画像がよくあったりしますが、スピルバーグ監督も同様に、自身の映画人生を振り返って本作を作成したに違いないですし、映画業界の変化と映画館上映時代の終焉を危惧して制作にあたったのかもしれません。
まさに、ビジネスと芸術の両面から映画について考える彼の現状は、彼の父と母の生き方が重なって写ります。
私にとっては、映画館で映画を観るということは、その没入感であったり、優越感に浸れるひとときであったりが特別なものであり、家で動画配信サイトやDVD鑑賞をする時間とは全く違う体験をすることができます。
昨年大ヒットしたトップガン・マーヴェリックであったり、待望の続編であったアバター・ウェイ・オブ・ウォーターも、映画館で観たからならではの迫力を楽しむことができました!
配信コンテンツの作品が映画賞にノミネートされたり、配信限定の作品があったりと、コロナ禍もあって映画業界においても地殻変動が起こっていることは否めませんが、映画館で映画を観る素晴らしさは、今後の娯楽文化においても、残り続けてほしいと切に願うものです。