「考える」ことについて考える
巷にあふれる「ロジカル・シンキング」という、日本語にすれば「論理的思考」となる言葉。今日はこれについてみていきたいと思います。
とはいうものの、「論理的思考」を考える前に、そもそも“考える”ってなんだろう? と問うてみたいと思います。
まずは“考える”の品詞からみていきましょう。“考える”の品詞は動詞です。言葉を言い切りの形にしてウ段で終わるものが動詞です(かんがえる~~~ぅ)。他には座る(すわる~~~ぅ)、立つ(たつ~~~ぅ)、話す(はなす~~~ぅ)、食べる(たべる~~~ぅ)などがあります。動作を示す言葉です。
ここで注目したいのは、座るや立つや食べるは実際にやって見せることができるという点です。しかし、“考える”はこれがなかなか難しいのです。たとえば、こんな風にしていたら“考えている”ことになるのでしょうか?
いくつか質問をしていきたいと思います。
1+1=?
1024÷64=?
地球の演習の長さは?
光は地球の周りを1秒間に何周する?
大好きな友達に贈る誕生日プレゼントは?
おそらく「友達に贈るプレゼント」をググる人はいないと思います。なぜならググってもわからないからです。
ここで見えてくることがあります。調べればわかること、調べたら答えられることは考える必要がないということです。「友達に贈るプレゼント」の場合はどうでしょうか。友達が好きな色、好きなモノ、欲しいと言っていたモノ、欲しがりそうなモノ……そんなことを頭の中でグルグルすると思います。
つまり、「問いを持ち続ける」状態です。このことを“考える”と呼んでもよさそうです。「問いを持ち続ける」とはその問題の視点でものごとを見ていくことです。そうすると、モノとモノとつながりが見えてくるようになります。(あ、そういえば、○○が欲しいっていってたな!)という状態です。
ここでこの「問い」そのものにもおもしろさがあることに思考を広げてみたいと思います。問題というのはその答えがわかってはじめて、それがどういう問題だったのかもわかる、ということです。問題が現れたとき、問題を設定したとき、われわれはまず、その問い自体を「これはいったい、どういう問題なんだろう」と問う必要があるわけです。
少し見方を変えて、違った角度から“考える”ことについて考えてみたいと思います。
あなたが最近、自分の生活の中で“考えた”ことってありますか?
なにかを“考える”と、その結果として考える前と考えた後とでなにかしらの“変化”が起きているはずです。つまり、“考える”とは“変化する”ともいえるわけです。
なにか難しいことを考えるときには「反対概念を考える」とうまくいくといわれています。反対概念とは「いま考えていることから遠く離れているもののこと」です。簡単にいうと対義語を考えるということです。
それでは“考える”の対義語とはなんでしょうか。“考える”から遠く離れているもの、それは“努力する”です。(がんばっているのに)という人はだから「考えていない人」ということになるわけです。やり方を“変える”必要があるわけです。
参考文献
野矢茂樹、2004、『はじめて考えるときのように――「わかる」ための哲学的道案内』PHP研究所。
芦田宏直、2013、『努力する人間になってはいけない――学校と仕事と社会の新人論』ロゼッタストーン。