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【随想】葛西善蔵『春』

 寺の池にも春が来た。歯朶などの生えた高い崖下の湿地の、小さな池である。木の葉や枯蓮で汚ならしく埋まり、金魚も鯉もいないが、此頃沢山の蟇どもが出て来て、夜も昼もグッ、グッとへんな声を出すので、うるさくて仕方が無いのである。何処からこんなに沢山出て来たのかと不思議に思われる程である。朝目をさますとグウッ、晩酒を飲んでいる時にもグッ、グッと来るんで、やれ切れないと思う時がある。それらが醜い恰好をして、狭い池の中が真黒く見える程沢山泳ぎ廻っている。一つの雌に三つも四つもの雄が摑まりっこをして、強そうな奴が後肢で他のものをグイ/\と蹴ったりしている。クワウ/\と比較的可憐げな声を出しているのもある。重り合った不様な姿を見せて浮いているのはまだ真に徹したものでは無いようである。真に摑んでいるものはジイッと底に沈んで動かないようである。私は便所への廊下の往きかえり否でも応でもこれらの光景を見ない訳に行かないのである。

葛西善蔵『春』(短編集『贋物|父の葬式』)講談社,2012

 春が来た。剃刀の様な冷気は陽光をふわりと運ぶ微風に変わり、泥に塗れた氷雪は今や白に染め直す者も無く、唯静かに透明な水がアスファルトを濡らしては乾いていく。フキノトウの黄緑は鮮やかに景色を彩り、やがてモンキチョウが土筆の上を舞い出すだろう。独立峰も麓から段々蒼く燃え上がり、皆が南風を忘れた頃、春の悦びは世界に雲散霧消している。
 春が来る度現れる、新生の予感、再誕の希望に、いずれは飽いてしまうのだろうか。太古より受け継ぐ遺伝子が甦る感覚、それは生命の開放、歴史の再現、継続と交代、時空の現象に伴う衝撃の余波なのか。
 蛙が性交するのに思考は必要だろうか。犬が飼い主に服従するのに誇りは必要だろうか。人間が生きるのに理由は必要だろうか。過去も未来も知らずに、夢も希望も抱かずに、生命も非生命も食べずに、存在することは出来ないのだろうか。

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Junigatsu Yota
素晴らしいことです素晴らしいことです

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