【随想】葛西善蔵『春』
春が来た。剃刀の様な冷気は陽光をふわりと運ぶ微風に変わり、泥に塗れた氷雪は今や白に染め直す者も無く、唯静かに透明な水がアスファルトを濡らしては乾いていく。フキノトウの黄緑は鮮やかに景色を彩り、やがてモンキチョウが土筆の上を舞い出すだろう。独立峰も麓から段々蒼く燃え上がり、皆が南風を忘れた頃、春の悦びは世界に雲散霧消している。
春が来る度現れる、新生の予感、再誕の希望に、いずれは飽いてしまうのだろうか。太古より受け継ぐ遺伝子が甦る感覚、それは生命の開放、歴史の再現、継続と交代、時空の現象に伴う衝撃の余波なのか。
蛙が性交するのに思考は必要だろうか。犬が飼い主に服従するのに誇りは必要だろうか。人間が生きるのに理由は必要だろうか。過去も未来も知らずに、夢も希望も抱かずに、生命も非生命も食べずに、存在することは出来ないのだろうか。
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