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そもそもThe Game Awardsとは何か。その構造と課題について。

The Game Awards(以下、TGA)が発表された。

TGAといえばGame of the Year、要するにゲームのアワードにおいて最も権威的な存在であり、筆者もまた注目する一人ではある。しかし、あまりその構造や問題について知らないまま、言ってしまえば「TGAが唯一最大の権威」のように評されることも多く、事実今回のTGAの発表を受けて特定のタイトルをやたらに持ち上げたり、逆に批判するような意見も目にした。

そこで、そもそもTGAとは具体的にどのようなアワードで、なぜ注目されるのかについて、改めて論ずる必要があると考えた。結論を言うと、TGAはあくまで「ゲームメディアが選ぶアワード」以上でも以下でもないので、少なくとも現状ほど圧倒的な権威を感じずともよいのでは?と考えているのだが、その経緯をここで説明しよう。


The Game Awardsとは何か

そもそもTGAとは何か。すごくウィキペディアチックに説明すると、これはそもそもカナダのゲームジャーナリストであるジェフ・キーリーが、ド派手で皆から注目を集められるアワードをやろうぜ!といった意気込みで2014年に始めたアワードである。

ジェフ・キーリーは元々GameSpotなどでライターとして活動していたが、同時並行でゲーム番組の司会者を行っていた。具体的には2002年頃からG4tv.com(NBCユニバーサル)、GameTrailers(IGN)といった番組を掛け持ち、世界中のゲームクリエイターと対談する機会をもうけた。いずれ彼はジャーナリストというよりはショーマンとして才覚を表していき、E3など大型イベントなど英語圏では「ゲームの司会者といえばジェフ・キーリー」という立場を築いていく。

(もっとも、こうしたキーリーの業界との繋がりに対しては批判的な声も高まり、2012年にはドリトスの宣伝の場にいたことを揶揄されたりもしている。)

こうして世界的な地位を築いていったキーリーが、前身となるSpike Video Game Awardsを踏襲しつつ、自ら番組を作ろうと取り組んだのが、The Game Awardsだった。彼は自分たちが好きな文化を称揚する場所を作りたいというモチベーションから創設したという。


The Game Awardsがこれまでのゲームアワードと異なっていたのは、まず演出上の派手さだ。

これまでのゲームアワードが薄暗い会場で、よくわからないおじさんが小声で長話をするという偏見を抱かれるものだとしたら、The Game Awardsはロスにある7000名収容が可能なpeacockセンターを貸し切り、世界中のセレブやインフルエンサーを呼び集め、GOTY発表時にはオーケストラによる即興までやってのける。まさにアカデミー賞のような「ショウとしてのゲームアワード」であり、そうした派手さが大衆の関心を引き付ける一因だっただろう。

もう一つ、大きな変化点がコマーシャルの存在だ。

The Game Awardsは何かしらアワードを発表するたび、その間に大手ゲームの新作情報などコマーシャルが発表される。その物量はGamescomやTGSもかくやというもので、世界中の大企業から大作がここで発表される。この新作情報こそTGAの視聴者が求めているものであり、また同時に、TGAの圧倒的な演出の予算をねん出する場となっており、まさに一石二鳥の方策だろう。

いずれにせよ、希代のショウマンであるジェフ・キーリーならではの演出であり、彼が司会者時代に築き上げたコネクションでコマーシャルを営業し、その営業の成果によってまたコネクションを拡大するという好循環が、TGAをここまで成功に導いた要因だと考えられる。


The Game AwardsのGOTYはだれが選んでいるのか

このように、The Game Awardsは「ゲームアワードの体を保った興行」として楽しむ分には、ゲーム文化において大きな存在である。ただ言い換えれば、TGAに対する注目はジェフ・キーリーの作り出す「ショウ」の経済的な規模や、新作情報という名のコマーシャルに向けられるもので、少なくともアワードそれ自体への批評的権威だけに限らない点は留意するべきだろう。

別にTGAが信頼に値しないといいたいわけでないが、TGAはあくまでTGAなりの回答でしかなく、アワードの批評的意義にも疑問がないとは言えない。


具体的に、TGAのアワードはどのように決められるのかといえば、ソニーやMSなど大手ゲームプラットフォーマーおよびパブリッシャーで構成された「諮問委員会」が投票者となるゲームメディアを選定し、そうしたゲームメディアによって実際にどのゲームをノミネートおよび受賞するか決めるというプロセスを取っている。つまり、各アワードのノミネートは世界のゲームメディアに一任される。(受賞は審査員:ファン=9:1の塩梅で決める)

ゲームメディアについては説明が不要だろうが、アメリカではIGN、日本ではファミ通のような、主にゲームのニュースを発信し、時としてゲーム企業から依頼を受けて広告を作成するメディアが大半だ。そのため、TGAにおけるGOTYは、「ファミ通やIGNにとって、最も優れたゲーム」が選ばれているのだ。

これは言い換えると、TGAのアワードには基本的にゲームメディア以外の意見は考慮されていないということも意味している。

例えば、開発者の視点。映画業界で権威のあるアカデミー賞は、主に映画産業において大きな功績を残した業界人からなる「映画芸術科学アカデミー」が選定するが、これに対してTGAのGOTYには開発者の立場がない。つまり開発者にしかわからない苦悩や達成というものは、基本的にTGAでは反映されない。

他にも、研究者の視点もない。つまりビデオゲームをアカデミックに体系化できる人間の視点もない。同様に、複数の文化や芸術に横断的に精通する知識人や、アクセシビリティを除いてビデオゲームの社会的文脈での実績のある活動家の存在も基本的に少ない。

総じて、The Game Awardsとはあくまで世界中のゲームメディアの意見が大半であり、言い換えれば、ゲームメディア以外にゲームに精通する人間の意見は反映されないということである。

念の為説明するが、別にゲームメディアが選ぶから(開発者が一番ゲームをわかってるから)TGAは信頼に値しないと言ってるわけではないし、万人が参加可能なアワードも存在しない。

ここで言いたいのは、TGAのGOTYはあくまでゲームメディアの立場から見た「今年を象徴するゲーム」の以上でも、以下でもなく、世間で考えられてるほどTGAは絶対的な権威ではないというだけのこと。作品の批評的達成は様々な立場から考慮されるべきというだけで、TGAはあくまでのそのone of themだというだけだ。


The Game Awardsとメディアの問題

と言ったものの、正直、TGAはゲームメディア・ゲームジャーナリズムの立場からのアワードだとしても、正直アワードの批評性として問題を感じるのも否めない。少なくとも過去5年のノミネートやアワードそれ自体を見ていても、明らかにそのジャーナリズム的精神を失いつつあるのではないか、というのが筆者の感想だ。


ではTGAの問題とは何か?それは、まずゲームを選出するゲームメディア自体の選出にある。

TGAの審査委員は「100を超えるメディアとインフルエンサー」から構成されているのだが、この内訳にまず疑問がある。例えば、日本のメディア審査員の一覧を見てほしい。

この一覧に多少なり、筆者は違和感を覚えた。筆者は審査委員のファミ通や4Gamerへ寄稿した経験があるが、一方で(同じく寄稿経験のある)電ファミニコゲーマー、AUTOMATONのような十分な実績のあるメディアが審査委員にいないのは不思議に思うし、何より同じKADOKAWA Game Linkageのメディアであるファミ通と電撃がどちらも審査員というのは明らかにアンフェアで、TGA側がまともに審査員の調査をしていない可能性が否定できない。

世界全体のメディアを見ていても、例えば、PC GAMER、POLYGON、EDGEのような実績が十分あるメディアのそばに、ほとんどニュースしか更新していないメディアもあったり、(視点を多様化する意図もあるだろうが)そもそもゲームが本業でないメディアもある。他にも、アメリカのゲームメディアとインフルエンサーは24社もいて、日本からわずか5社というのは、市場規模や文化的影響を考えても明らかに偏っているなどの問題も挙げられるだろう。

先ほど「TGAはゲームメディアの総意と割り切れば・・・」と論じたが、実際にはゲームメディアの選定自体に偏りがあるし、そもそも審査に問われる能力もメディアごとにかなりバラつきがあるため、TGAのGOTYがゲームメディアの総意として捉えられるのはあまり適切でないように思う。


次に、このゲームメディア中心の審査にあたって問題となるのが、ゲーム史でも長く問題視されてきた「メディアとゲーム企業の関係」である。

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