メディアの死、レイオフ、「ポリコレ」の問題──ゲーム業界の限界が垣間見えた2024年を振り返る
2024年は、ゲームにとって史上まれにみる「悲劇的な一年」であったと思う。
たしかに、年末に投稿した「ゲームゼミが1万字の選評と共に選ぶ、2024年のGame of the Year」にもあるとおり、今年はすばらしいビデオゲームが多数公開された。そのため、あくまで一人の消費者として作品を楽しむ分には非常に豊かな一年であり、2024年のどこが「悲劇的な一年」なのかと疑問に思われるかもしれない。
しかし、もう少し業界を俯瞰的に見ると、2024年は少なくともソーシャルメディアで考えられているよりは、よっぽど悲劇的だ。ゲーム市場の絶頂期がコロナ禍以降、半ば折り返すようにシュリンクしているのもさながら、そこから怒涛の勢いで多くの縮小、解雇、分断が発生し、ゲーム文化は本当にこれからも堅調に発展が続けられるのかどうかさえ不安になるほどだった。
今回は、2024年のゲーム業界におきた様々な悲劇を振り返りながら、ゲームユーザーやゲームクリエイターが従来の利益や技術による「進歩史観的なゲームへの理解」を超えた先に、どのような態度でゲームと向き合うべきかを考えていきたい。
過去最大規模のレイオフ
まず2024年を象徴する問題が、世界中のゲーム企業で起きたレイオフ……事実上の大量解雇である。
具体的には、まずゲームエンジン最大手のUnityで約1800人の解雇。Xbox Game Studios全体で約1900人の解雇。PlayStation Studios全体では900人の解雇。Riot Gamesでは約600人の解雇。他にもEAやUbisoftなど大企業でも解雇が進められた他、大資本に買収されたTango GameworksやArkane Austin、Firewalk Studiosなどはスタジオごと閉鎖された。Game Industry Layoffsによれば、確認できるだけでも約14600人がわずか1年で解雇されたという。
無論この大量解雇の流れは2023年にも(EA、Epic Games、Amazon Gamesなどで約6500人以上が解雇された)あったし、2025年もこの流れが止まることはまずないだろう。
こうしたレイオフによって何が起きたのか。まず当然ながら、多くの才気あるゲームクリエイターたちの生活が脅かされ、経済的な安定を失っている。企業によっては退職金や失業手当などが充当されるといえ、当然ながら突然職場から着の身着のまま放り出されることの不安はとても言葉にできない。中には生活を共にするパートナーや家族、あるいは外国人や非正規雇用者のような社会的・経済的弱者も存在するわけで、そういう人たちがどれほど苦境に立たされているか説明するまでもないだろう(※)。また、仮に経済的な苦境もさることながら、彼ら彼女らが血を流してでも作っていた魂のプロジェクトが、会社の都合によって世に出る前に中断されてしまう無念さも忘れられない。
ではどうして、このようなレイオフの流れが始まったのか。ひとまず考えられるのは、2019年ごろから流行した新型コロナウィルス感染症に伴って急増した需要の反動や、世界的な政情不安や国際紛争に伴うインフレーション、各企業のプロジェクトの失敗や頓挫だ。特にコロナ禍におけるゲーム需要の急速な高まりは、その終息に伴ってゲーム市場に大きな低迷をもたらしており、これがゲーム企業にとって大きな打撃となった点は各社のIR資料などでも示唆されている。
もっとも、こうした経営層の「言い訳」だけで問題は説明できない。ここ数年、近年UbisoftやRiot Gamesなどで指摘された女性への社全体でのハラスメントや、有無を言わせない残業や休日出勤のようなクランチのような習慣が長年続いていることを鑑みれば、問題は「単に経営上やむを得ない判断」とは言い切れないだろう。
なお、こうした国外の流れに対し、日本ゲーム企業ではレイオフが起きないから寛大だと考える人もいるが、それも簡単に比較はできない。そもそも北米や西欧におけるゲームクリエイターの待遇は、企業により差があるといえ日本のそれよりも好条件なことが多い(収入と安定性がトレードオフになりがちとも言える)。例えばアメリカのElectronic Artsはエンジニアの平均年収が約14万ドル(約2200万円、Comparably)に対して、日本の任天堂エンジニアの平均年収は約700万円(OpenWork)と3分の1以下である(それでも任天堂は国内では最高クラスの待遇)。また海外で問題視される「クランチ」も日本では業界問わず常態化した残業文化によって「そもそも問題視もされていない」のが実情であり(近年は遥かに改善されているが)、人材派遣や多重下請け構造のような問題もまた別に存在する。
また少し別の論点だが、プラットフォーマーに対する疑念が湧いたのも2024年だった。Unityが2023年に発表し、今年1月から導入することになっていた「Unity Runtime Fee」は、特に独立系開発者たちの猛抗議によって何とか撤回されると発表されたものの、プラットフォーマーが後付けで不公平・不透明な制度をクリエイターに強要しようとした事実は今もって恐怖を覚え、実際多くの開発者がUnityから離反(それによって大きな開発コストもかかる)を発表した。
いずれにしろ、今世界中でゲーム開発者に対する様々な加害・搾取・差別が問題視されているにもかかわらず、そうした問題が改善されてこなかった実情に、今年は例年以上に直面した。短い歴史の中で急成長を達成したゲーム産業だからこそ、一般的な企業風土で尊重される労働者の権利やコンプライアンスがおなざりとなり、成長が止まった今その問題が噴出している。2024年はまさにそれを象徴する一年だったと思う。
筆者個人として、こうした現状には忸怩たる思いがある。当たり前だが、ゲームを作っているのは現場にいるクリエイターたちだ。プラットフォーマーでもシェアホルダーでもない。そういった人々が社会的・経済的な権力構造の中で苦しめられ、彼ら彼女らのすばらしい創作への妨げとなっていることに、改めて憤りを憶える。願わくば、少しでも開発者たちの権利と自由が回復されることを願い、自分にできることを模索していきたい。
(※)稀に、資本主義経済において経営者の利益追求は当然であるといった言いぐさが見られるが、当然ながら資本主義経済であっても労働者の権利は百年単位で保障されてきた歴史があるし、とりわけゲーム業界における経営層の分配やレイオフへの態度がとりわけ問題視されいてることは、数々のサミット等でも指摘されている。
ゲームメディアの死が、決定的になった
2024年のゲーム業界について語るうえで、個人的に一番衝撃を受けていたニュースがこれ。
わたし自身、独立したゲームメディアとしてこのゲームゼミを運営するほか、実際多くのゲームメディアにも寄稿などでお世話になっている。しかし、もう決定的といえるほどゲームメディアの衰退は不可避のものになってしまった……と、2024年で確信せざるを得なかった。
元々、ここ5年間も一貫してゲームメディアの影響力は失われていた。多くのメディアが解散し、フルタイムの編集者は解雇・パートタイムへと置き換わり、ライターたちも数多く減給もしくは解雇を通達されていた。そうした暗雲立ち込める中、2024年はたった1年もの間に、以下が連続して行われた。
控えめに言って、絶望的だ。
日本人のゲームユーザーには知られていないかもしれないが、いずれも日本におけるファミ通と同じか、それ以上の影響力を持ち続けていたメディアである。コンソール・PCにおける最大手のゲームマーケットである欧州と北米から、半ば同時に瓦解していったというのはいかに楽観的に捉えても、(現世代の)「ゲームメディアの死」を決定づけていると言っても過言ではないだろう。
今年5月、筆者はEurogamer買収を契機に「「今、ゲームメディアが死につつある」ゲームジャーナリズムの限界と提言について」という記事をゲームゼミで寄稿した、そこから僅か半年ものあいだにIGNのレイオフ、何よりも北米で最も権威のあったGame Informerのすべての記事が閲覧不可能になると、わたし自身でさえ全く予想していなかった。結果、たった半年で「死につつある」が「半ば死んだ」になってしまった(幸いにも、日本のゲームメディアはまだ多くが健在だが)。
わたしはブログで活動を始めた当初より、一貫して国内外のゲームメディアの手法や現状に対して異議を唱え、このペイウォール型のインディペンデント・ゲームメディアである「ゲームゼミ」を筆頭に、オルタナティブを模索していた。しかし、それは決してゲームメディアが「要らない」という話ではない。むしろ必要であるからこそ、生き残るために変化が必要だと考えていた。
それゆえに、このような現状は受け入れがたく、他人事とは思えず心痛に苦しんでいた。当事者であるからこそ、ゲームメディア側の問題はいくらでも挙げられるが、それでもあまりにも急すぎるシュリンクと、それに伴う関係者の解雇と記事の非公開化の喪失が大きさの前に言葉を失った。
ではゲームメディアが衰退することによって、何が失われるのか。多くのゲームユーザーには、実のところ直接的な影響はあまりないように思われる。今やゲームのニュースは企業が直接発信しているし、ゲームへの意見もSNSで散見される。ゲーム企業側にとってもまた然りで、だからこそ「ゲームメディア不要論」のようなものも長らく存在していた。
もっとも、これははっきり言って非常に単眼的な見方。ゲームメディアが現在果たしているゲーム業界における役割は大きく、だからこそその真価は、ゲームメディアが失われて5~10年後に見えるものだと考えている。これは少々長くなるので、記事の最下部にて補足として説明している。ぜひ読んでいただきたい。
ユーザーとゲーム企業の間で深まった分断
最後に2024年で浮上した論点が、よく「ポリコレ」「DEI」という名目のユーザー側のバックラッシュと、それに伴って垣間見えたユーザーとゲーム企業の間で深まった分断だ。
日本においては『アサシンクリード:シャドウズ』が特に問題視されたことは記憶に新しく、実際ゲームゼミでこの問題を扱った際にも一定の反響があった。もっとも今年は『シャドウズ』のみならず、数日でサービス終了に至った『CONCORD』の失敗した理由が4Gamerで「DEI」と結びつけられた莉、直近ではThe Game AwardsでNaughty Dogsが発表した新作までも早速「ポリコレ」批判のターゲットにされているなど、ここ5年ほど熱を帯びてきたバックラッシュが24年で一気に加速したように思われる。
この問題は、ゲームユーザー・ゲーム企業どちらの側に立っても検討できる問題だと思う。
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