知ってほしい。「オーストラリア・ゲーム」の魅力について。
まず、読者諸賢にはゲームゼミの更新が滞ってしまっていることについて、お詫びしなければならない。
私は現在、南半球のオーストラリアにいる。ここにいる理由は、当然ながら取材のためだ。Indie Intelligence Network……インディゲームレーベルのWSS playgroundと協業している次世代のゲームメディア企画として、我々は恐らく日本ゲームメディアとして初めて、南半球の本格的な取材へと挑んでいる。更新が遅れているのは、この取材のためである。
ではなぜ、オーストラリアに来ているのか。それは「オーストラリア・ゲーム」の可能性について持っている私の仮説を、裏付けるためだ。この取材の成果は、IIN上でオーストラリアのゲーム開発者たちとのインタビューとして掲載される予定だが、ここでは(長く更新を待たせているゲームゼミの読者諸賢へのお詫びも兼ねて)オーストラリア・ゲームの可能性になぜ着目したのかを、本でいう「まえがき」のようにIINに先んじて読者に説明したいと思う。
IINとしてオーストラリアに取材する過程
まず、我々がIINという企画を立ち上げ、インディーゲームクリエイターのために世界のゲーム文化における機智(インテリジェンス)を収集すると考えたとき、必要なものはフレームワークだった。
通常のゲームメディアにおいて、取材というものはおおむね受動的なものである。例えば、パブリッシャーがこういう新作ゲームを発売すると告知をしたとする。すると、メディアはこの情報をパブリッシャーの宣材に応じて掲載する代わり、そのクリエイターに対してインタビューを行う。あるいは、gamescomとか東京ゲームショウのような大きなイベントが起きるとなれば、そこのブースの情報を拡散する代わりに現地に来ているクリエイターに突撃取材を行う。
しかし、IINはこういうフレームを採用していない。必ずしも、このフレームが悪いわけではないが、同じフレームを用いてしまうとどうしても先方は「いつものPRの一環として、ユーザーに情報を届けるためのインタビューだ」と解釈され、その結果としてIINにしかできない取材にはなり得ない、と考えたからである。
よってIINのフレームは、より積極的、アグレッシヴである必要があった。呼ばれてから行くのではなく、呼ばれる前に取材をかける。その分、取材にかかる経費は我々が自己負担し、さらに取材のために貴重な時間を割いていただいた先方の納得がいく形になるまで原稿(コンテンツ)を磨く。(このやり方は、共同編集長の斉藤大地が「自腹をきる」ことで、強引に成立させている。)
フレームがきまると、次に必要なものは「誰を取材するか」であった。
これは非常に難航した。長くなるので割愛するが、実に多くの企画が浮かんでは没になった。私自身も、従来のメディアによる受動的なフレームとは異なり、全くなにもないところから自ら取材企画を考えることがいかに困難なのか、笑ってしまうほどだった。ところが、あれこれと企画を浮かべているうちにわかったことがある。これは誰か(Who)、ではなく「どこか(Where)」でトライするべき事案であると。
それは私の脳内にある、「地図」がその直感を与えていた。私自身はジャーナリストとしてそこまで取材経験が豊富なわけではないが、長らくSteamを利用し「国際的なゲーマー」だったことで得た勘から「地図」を抱いていた。あのディベロッパーなら、この国だ。このパブリッシャーは、あの地域で集めている。そういう機智(インテリジェンス)が、偶然にも私の脳内にはあった。
そうして、色々と出揃った。一つは、韓国だった。二つ目は、ドイツだった。なぜこの2国なのかについては、いずれ記事にすることになると思う。そして三つ目は、非常に色々な候補とともに逡巡したのだが、私は断固として「オーストラリア」を挙げた。これには、共同編集長である斉藤氏もまったく不意であり、その説明を要求した。
ただちに、わたしはプレゼン資料を作り上げた。まるで代理店のようだが、クライアントは「社内」にして「同志」であるから、非常に楽しい。なぜオーストラリアに行くべきなのか。オーストラリア・ゲーム文化とはなにか。日本では未だ語られていない「機智」を盛り込んだ。
そしてそれを読み上げたとき……あくまで社内ではあったが、拍手とともに満場一致の同意を得た。そうして、わたしはついにオーストラリアへの取材を実行にうつし、今ここへと至るのである。
なぜ、オーストラリア・ゲームなのか
とはいえ、今これを読んでいる読者でも「オーストラリア・ゲーム」と聞いてニヤッとしたのは、かなりのゲーマーであると思う。ずばり大半の人は、オーストラリアにゲーム文化などあるだろうか、と考えても不思議ではない。
かねてより、ゲーム文化には「三大地域」があった。日本・アメリカ・EUの3つである。今もゲームの生産・消費はこの3地域で行う。当然ながらそこにオーストラリアは存在しない。仮にそこに続くのであれば、すでにモバイルで世界の覇者となった中国だろう。
なので、当然ながらオーストラリア・ゲーム文化において、任天堂とかEAのような大企業は、もちろん存在しない。資本というものが、まるで根付かなかった不毛の土地である。よって、(少なくとも、かつては)世界で最も豊かなゲーム文化を擁する日本人にとって、オーストラリアは未だ「発見」されていない18世紀のままだ。
ところが、まさにこの「資本が根付かなかった」というのがミソである。大企業が何百億円とかけた大作を出していないからといって、現代ではもうそれを「不毛」とは呼ばない。そう、インディーゲームであれば、むしろ資本がないことそれ自体が強みとなる。
オーストラリア・ゲームの本質は、ずばりインディーゲーム文化が世界において最も栄えた国であることに尽きる。「三大地域」のうち日本よりは遥かにインディーが発達し、EUとは五分、北米よりは劣るものの、全体的な比率と、何より作品の性質においては圧倒的である。
具体的な例を上げよう。オーストラリアで生まれたインディーは、軽くこれだけはある。
もちろん、これらはオーストラリア・ゲームのほんのごく一部だが、いかにこの地域が重大か説明するには十分だろう。単に数が多いのは言うに及ばないが、何より「質」が際立って高い。すでにここで挙げたゲームはSteam上での商業的成功を収めているだけではなく、The Game AwardsやBAFTAなどで受賞した作品も多い。もちろん、その実績に比例するように「インディー」のソウルを持った(と、我々が勝手に納得する)個性的な作品ばかりだ。
この「やたらとクオリティが高いインディーゲームが、ポコポコ生まれている」という点から、私はずっとオーストラリア・ゲーム文化に着目していた。
しかも、オーストラリア・ゲーム文化には、他のインディーゲーム文化にない魅力がある。その一つは、ナラティブへの偏重だ。
例外はいくつかあるといえ、オーストラリア・ゲームは妙なほどナラティブへの理解度が高い。ここで挙げた例であれば、『Unpacking』『Florence』のような例もさることながら、ほとんどフレーバー程度でしかない割に非常に作り込まれた「ムシ」の帝国が描かれる『Hollow Knight』とか、スラップ・スティックをうまく落とし込んだ『Untitled Goose Game』やナンセンス・ギャグを恐れず行う『Cult of the Lamb』のようなユーモア方面も強い。
しかも、こういう「ナラティブなゲーム」によくある地域性に基づいたアイデンティティに依存していない。というか、実際これらのほとんどが「オーストラリアのゲーム」だと知っていたどころか「アメリカのゲーム」だと考えていた人が多いのではないだろうか。別にカンガルーも出てこないし。
ところが、まさにこのアイデンティティに依拠していないこと……言うならば「まるでアメリカのゲームのようである」という点こそ、オーストラリアゲーム文化を厳しく鍛えたのは、言うまでもない。いうならば、ソーシャルメディアやゲームメディアで表面的な情報でのみ消費されるのではなく、自分でやってみたいと思わせるインタラクティブ・メディアの本質に迫っていると言えるだろう。
それこそ『Unpacking』は、言語や映像による説明をほとんど省略し、ただ段ボールの中から荷物を紐解いてくインタラクションの中に、そのナラティブを宿している。それはどこにでもいる人の、ごく平凡な物語でしかないものの、これをプレイヤー自らが触れることによって忘れがたい物語にさせている。
あるいは『Hollow Knight』や『Cult of the Lamb』は、そのキュートで少し毒々しい世界によって、ジェンダーやジェネレーションに問わない世界に仕上がっている。これらのゲームはUX面でも非常にアクセシブルなものであり、日本やアメリカでは当たり前にいる「ゲーマー」に恵まれた環境ではない地域ゆえに、その心意気が育まれたのだろう。
(しかし、このアイデンティティという点において『Escape from Woomera』という先駆者があるのもまた、面白い点だ)
少し踏み込むと、オーストラリア・ゲームの特徴とは「反動の少なさ」、といえるのかもしれないと考えている。
すでに筆者は何度か述べてきたが、(1980年代の黎明期や、2000年代の同人ゲーム文化と比較し)インディーゲーム文化の特徴には、常に「反動性」と呼べき何かがあると指摘してきた。
すなわち2010年代におけるマルチプラットフォーム化とデジタル化に伴って開発が大規模化していく中で、特にアメリカや欧州、日本では大企業のやり方に対して反発することをパブリックに明かし、そのままマーケティングに活用していったのがインディーゲーム文化の重要な契機(の1つ)だったのだ。
ところが、オーストラリア・ゲームには存外その反動的な性質が見られない。インディーであるということを、ある種、錦の御旗として良くも悪くもアグレッシヴに煽るような感じがしない。自然体として、ナチュラルボーンとして「最初からインディーである」とでもいうべき、泰然自若な姿がある。
なぜそのように自然なインディーであるのか、というのは実際に取材の中で見えてきた部分があるのだが、いずれにせよオーストラリアから生まれたインディーゲームが「インディーゲーム」にもう一つの解釈を加えたという点において、現代インディーゲーム文化において北米や欧州と同じか、それ以上に重要な地域がオーストラリアと言えるだろう。
なぜ、オーストラリアにインディーゲーム文化が根付いたのか
最後に、そもそもなぜオーストラリアにゲーム文化が、それも2010年代後半から急速に「インディーゲーム」という形として発展していったのかという経緯が非常に興味深いので、この点を語りたい。
繰り返すように、インディーゲームとは多かれ少なかれ「反動的」な性質を伴う文化だった。言い換えれば、ビデオゲーム産業がもっとも発展し、資本が集まり、それによって「腐敗した」とみなされた現状へ、開発者たちがカウンターを当てようとしたのがインディーゲームという文化のいち側面だ。よって当然ながら、初期のインディーゲームの主たる産地は北米であった。
ところがオーストラリアにはそのカウンターすべき資本が自国になかった。実際、読者諸賢の中でも「アメリカのゲーム」と聞いて思い浮かぶ作品は多くあっても「オーストラリアのゲーム」と聞いてピンと来る人はあまりいないだろう。それもそのはず、実はオーストラリアには「ゲーム会社」はあっても「ゲーム」はなかったのである。
ネタバラシをしよう。オーストラリアにはゲーム産業はないが、ゲーム会社それ自体はあった。
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