カタルシスともやもやの正体
12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日。
昭和の頃は毎年この時期になるとTV時代劇「忠臣蔵」が放送されていたように記憶している。
殺された吉良上野介(名君であったともいわれている)はちと気の毒であるが、勧善懲悪だからこそこの物語のカタルシスは成り立つ。
平成、令和になるにしたがって「忠臣蔵」はあまりTVで見かけなくなってしまった。ぼくは結構この物語が好きだったので、またTVでやってくれないかなと思ったりしている。「忠臣蔵」は遠くなりにけり。
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先日、映画「THE FIRST SLAM DUNK」を観にいった。
公開前から何かと話題になっていたのでご存知の方も多いと思うが、賛否両論の意味がよく分かった(すいません、ここからはネタバレも含みます)。
ぼくは幸い仕事で日本にいなかったので、TV版「スラムダンク」をリアルタイムで見ていない。その後、ビデオもみていないので、映画の声優陣がTV版と異なることに違和感はなかった(TV版に慣れ親しんだ妻はやはり違和感があったという)。
仮に漫画「スラムダンク」の最大の山場となる山王工業戦だけを丁寧に描けばそれだけで相当なカタルシスを得たであろうし(漫画がすでにそうであった)、はじめ少しだけ慣れなかった高品質のCGもすべてが高評価につながったであろう。「鬼滅の刃 無限列車編」と同じくらい盛り上がったはず(と思いたい)。
しかし今回の映画は作者の井上雄彦さんが原作・脚本・監督も手掛けている。「スラムダンク」の後に「バガボンド」、「リアル」とカタルシスだけでは語れない傑作をものにしている作者が制作に大きくかかわっているとすれば、この映画をカタルシスだけのものにしたくなかった気持ちもよくわかる。
よって映画の主人公を桜木花道ではなく(もちろん主人公に変わりはないが)、宮城リョータにすることでよりストーリーに深みが出たと思う。ただそうすることで、漫画になれたファンは圧倒的なカタルシス(おそらくみんな山王戦にはそれを望んでいただろう)がちょっとだけ削がれたのでなかろうか。ぼくは個人的にそう感じ、それがぼくのもやもやの正体だった。
ちなみに、ぼくよりよほど正確にこの映画「スラムダンク」を批評されている方がいらっしゃるので、映画批評を読みたい方はこちらを参考にされたし。
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さて、出雲神話である。突然、「スラムダンク」の検索でここにたどり着いた方はなぜに出雲神話と思うかもしれない(このエッセイは出雲神話にたどり着くことを基本にしているので、初めての方もうしわけありませぬ)。
出雲神話にスサノオのヤマタノオロチ退治の話が出てくる。地元では神楽のメインであり、最大の山場といっていい。
noteで以前ヤマタノオロチの記事を読んだことがあるが、誰の記事だか忘れたけれど(ほんとうにもうしわけない)、ヤマタノオロチは八股だから首は九首あったんじゃないかと疑問を呈される方がいた。
そうなるとこの話は大きく変わってくる。スサノオはひとつ切り損ねたことになる。そしてその一匹のオロチは今もこの国のどこかに潜んでいて、ときどき暴れだし、台風や地震を起こしている。すると、この物語のカタルシスは急速に失われ、不穏な空気だけが残ってしまうことになる。やはり物語にはちゃんとした終わりが必要なようだ。
スサノオが切り落としたヤマタノオロチは退治した跡が斐伊川になり、今は宍道湖に注がれている。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
オロチの最後の一匹は退治しましたので、ご安心を。
出雲にお越しの際はごゆっくりお楽しみください♪
それと、まだ映画「THE FIRST SLAM DUNK」をご覧になっていない方がいたら、ぜひご自分の目で確かめることをお薦めします。ぼくはとてもよかったと思います♪
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
よかったらご覧ください ↓ ↓ ↓