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さびしくて 

今回は「さびしさ」がテーマなので、この曲を聴きながら読んでくださることをお薦めします。「さびしさ」といえば、ぼくはこの曲を思い浮かべます。



N先輩は学生時代にお世話になった先輩。

N先輩は次々と彼女を替えることで有名だった。それに付き合いが長続きしない。ぼくなどはそれでも彼女ができるだけでもすごいじゃないかと思った。しかし、元カノたちはそのように思うわけもなく、いつもみな、きまって最後にいうことばは「あんな最低な奴だと思わなかった」だった。


これにはいつも合点がいかなかった。なぜ、最低な奴だというくらいなら、初めに付き合ったりするのだろう。それではN先輩が口だけでうまい具合に近づいてくる(確かにそういう面はあった)悪いやつみたいではないか。

N先輩はどうひいき目に見ても(ぼくがいうのは気が引けるが)イケメンというタイプではなかった。しかし、結果は御存じのとおりモテたということになる。それではN先輩の魅力と何だったんだろう。

N先輩は人懐っこくて、極度のさみしがりやだった。

「俺はさぁ、さびしがりやだから、女が切れるとダメなんだよ」

なるほど、さびしがりやだとモテるのか。ではぼくはさびしがりやでないのだろうか。考えてみると、ぼくはこどもの時、さびしがってはいられない環境にあった。具体的な話は避けるが、ひとりでいるのも嫌いじゃないし、どちらかというと静かな生活に慣れていた。確かに性格もN先輩と正反対で、ぜんぜんひとなっつこくない。だから好かれないのかな。

S先輩(N先輩と同級)は、N先輩のことを嫌っていたので、N先輩のことを「あいつは軽薄で、要領がいいだけだ」と軽蔑していた。ぼくはN先輩とS先輩と両方仲良くさせていただいていたので、2人が仲良くできないのは心苦しかった。ものごとはいつもうまくいかないものだ。

このことからN先輩を総合的に(それもぼく個人的に)判断させていただくなら、N先輩は人懐っこくて、軽薄で、さびしがり屋で、要領がいいということになる(どんなひとか想像できますか?)。



出雲神話で要領のいい神様の代表といえば天菩比神(あまのほひのかみ)だろう。この神様はアマテラスとスサノオの誓約で生まれた神様の一人。

天菩比神は「国譲り」のときに、大国主命を説得する役目をおった高天原からの使者だった。ところがこの天菩比神、いっこうに高天原に帰ってこない。3年たっても帰ってこないので、様子をうかがってみると、なんと天菩比神は大国主命に媚びへつらって(ほんとうに古事記にこう書いてある)葦原中つ国に住みついてしまっていた。

普通なら重大な裏切り行為である。なにせ、次に送った使者の天若日子は8年たっても帰ってこず、その裏切りに怒った高天原の神たちは天若日子を弓矢で殺してしまっている。なぜ、天菩比神は殺されなかったのだろう。

大国主命が国譲りをした後、まずまっさきに武御雷(タケミカズチ)神は天菩比神を探し出して、殺さないといけない(それでこそ高天原に示しがつくというものだ)。しかし、そのような形跡はどこにもない。魔法のように消えてしまったのだろうか。

出雲大社の祭祀は出雲国造が執り行っている。なんと驚いたことに、出雲国造の御祖神は天菩比神である。つまりは天菩比神は殺されず、それどころかその子孫は大国主命の祭祀を受け継いだことになる。

そして今(11月5日)は神在祭の最中である。その祭も天菩比神の子孫が行っているということになる。

すごいじゃないか。いったい天菩比神はどんな魔法を使ったのだろうか。

その天菩比神は今も能義神社に祀られている。


天菩比神はいったいどんな魅力を持った神様だったんだろう。

ひょっとして人懐っこくて、軽薄で、さびしがり屋で、要領のいい神様だったんじゃなかろうか。



N先輩は今、地元に帰られて元気にやっていると聞いている。結婚して娘さんもいるそうだ。きっともうさびしくはないだろう。どうかいつまでもお幸せに ♪



今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。  

よかったら、能義神社にもいらしてください。

さびしんぼうかもしれないので、にぎやかにしてあげてください。

なにせ、今は神在祭でありますので (^ ^)

では、お待ちしています ♪



こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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