我々は神社に参拝する時、神様に何らかのお願いをする。
人それぞれに、当然、お願いは違ってくる。合格祈願、家内安全、商売繁盛、病気回復、縁結び、世界平和、などなど。100人いれば、100通りのお願いがある。
それでは、我々はいつから、神様にお願いごとをするようになったのだろう?
「古事記」の垂仁天皇記に息子の本牟智和気王(ほむちわけのみこ)の話が出てくる。本牟智和気王(ほむちわけのみこ)は大人になるまでしゃべることができず、天皇はそのことを悩みの種としていた。ある日、天皇は夢で「出雲の大神の宮を修繕すれば、本牟智和気王(ほむちわけのみこ)がしゃべることができるようになる」とお告げを受ける。
そこで出雲大神の宮を修繕したら、本牟智和気王(ほむちわけのみこ)がしゃべれるようになったそうである。これが初めて神様に願いが聞き入れられた話といってもよいだろう。しかし、これは出雲大神の宮を修繕という大事業の引き換えにという、限定的な願いの成就といえる。
もっと、我々のような一般人がお願いを聞き入れられるようになったのはいつ頃のことなのだろう。実は、古代の地理誌「出雲国風土記」にその願いのありようが克明に記載されている。「出雲国風土記」の意宇郡の安来郷にその話が出てくる(安来といえばスサノオが「わたしのころろがやすらいだ」と仰ったことから安来と名がついたとある由緒ある地名である)。
我々一般人の初めてのお願いとは、
なんと、
なんと!
「復讐」だった!!
いやぁ、このことを思うとき、神様達も「あのころと比べて、人々の願いも平和になったものだ」としみじみ感じいるところがあるのかもしれない。
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今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
よかったら、安来にもいらしてください。
駅前から歩いてすぐのところに語臣猪麻呂像がお迎えしてくれますよ
では、お待ちしています ♪
ゴゴゴゴゴッ
(この音は!!)
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています
よかったらご覧ください ♪