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【神話エッセイ】 読書感想文の思い出
「読書感想文」と書くと、k子との思い出がよみがえってくる。
K子とは学生時代に数回デートしたことがある。おいおいブサイクなキモ男にもそんな浮ついた話があったのか、と訝しく思う方がいらっしゃとしたら、申し訳ないというしかない。星の数ほど失恋を重ねれば、たまさかにデートくらいはいいよという稀有な女性に巡り合うこともある(もちろん、その後すぐに振られるわけであるが・・)。
今となってはK子とのデート内容をほとんどおぼえていないが(おい!)、心に強烈に残ったのが「読書感想文」についてであった。K子は学生時代(中学だったか、高校だったか忘れたけれど)、「読書感想文」で全国で最優秀賞をとったと話してくれた。
ぼくは学生時代、割合(ほかの教科と比べればだけど)、国語が好きだったのだけど、成績はそれと反比例するかのように最悪だった。テストで「この文章はどんな意味があるのでしょう」という設問があれば、「作者に聞いてください」と答え、「この「黄昏」という漢字は何と読むでしょう」と問われれば、「辞書で引いてください」と答えるようなダメダメな生徒だった。
そんなぼくだから「読書感想文」に関してもたかがしれている。夏休みの宿題に毎年「読書感想文」を提出しなければいけないけれど、課題図書を一通り読んで、あらすじを9割そのまま写し、最後にちょっとした感想を添える、その程度のものだった。
ところが(当たり前だけど)、K子は違った。課題図書を何度も何度も(3回くらい読み込んだといっていたような)読み込み、それから丁寧に感想を下書きし、何回か手直しして、最後に清書したという。それを聞いて「読書感想文」とはそのように書くものだったのかと、目からウロコの驚きであった。
司馬遼太郎さんの「峠」を100回以上読み込んだ今となっては、その気持ち、よくわかる。ぼくも一度くらいはじっくりと課題図書を読み込んで、「読書感想文」に向かい合ってみたかったなと思う。しかしながら、そう思った時はすでに遅しで、こうやって繰り言をnoteに書くくらいしかできない。まことに残念至極である。
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出雲神話の根幹をなす「古事記」は、飛鳥の清原で天下を治めた天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれい)に記憶させたものがもとになっている。
稗田阿礼(ひえだのあれい)は天皇にお仕えした方で、人柄賢く、目で見たものは口で読み伝え、耳で聞いたものはよく記憶したという。としは28歳だったというから、おそらく聡明な若者(この時代の28歳は若者とはいわないか)だったのだろう。
しかし、このときは「古事記」は文章化されず、その後太安万侶(おおのやすまろ)が稗田阿礼(ひえだのあれい)の口述を書き起こすことで完成する。
そう考えると、太安万侶も苦心したと思うが、稗田阿礼の記憶力も恐るべきものだったといわざるを得ない。そのとき稗田阿礼はいったいいくつだったのだろう。
ちなみにそれだけの功績を遺した稗田阿礼であるから、神様となり奈良に祀られている。賣太神社(めたじんじゃ)である。毎年、8月16日には阿礼祭といって、稗田阿礼の遺徳を偲ぶ祭がある。もうすぐだから、奈良の人は祝ってあげてください。
稗田阿礼は出雲と関係ない場所に祀られているが、「古事記」を暗記した人物として、敬意を表してここに留めおきたい。
ぼくも暗記するくらい課題図書を読み込んでいれば、全国で最優秀賞をとれたのだろうか(まぁ、無理だろうな)。今となってはどうでもいいことだけど、夏になるとふとそんなことを思うのであった。
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今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
奈良の賣太神社にお出かけの際は、稗田阿礼に感謝の意をぼくにかわってお伝えください。
この人なくしては、出雲神話は語り継がれなかったのかもしれないのだから。
それでは、いってらっしゃい ♪
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ヘッダー画像はちえむさんの画像をお借りしました。ありがとうございました。
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こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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