見出し画像

置かれたところで咲きなさい

ぼくは毎朝、新聞を読む。最後に番組欄を見て、自分が見たい番組に赤いボールペンでマルをする。

こんな感じ

一日に数個マルをつけるのだけど、それを見れるかどうかは別だ。以前も話したように、ぼくに番組の選択権は限りなくないに等しい。妻子がチャンネル権を独占しているからだ。今のところ、ぼくの唯一のチャンネル権は「鎌倉殿の13人」だけだ。

じゃぁ、なぜ新聞の番組欄に赤マルを付ける必要があるのかと思うかもしれない。選択していること自体がぼくは好きなのだ。

例えば、今だったらネットフリックスでいくらでも見る番組を増やすことができるのだけど、そういうのには興味がない。

例えば、アマゾンで注文すればどんな本も手に入るのだけれど、わざわざ地元の書店に行って本を探すのがぼくは好きだったりする。なくても注文で取り寄せればいい。

結局のところ、何がいいたいのかというと、選択肢を増やすことよりも、ぼくは限られたところで選択すること自体に興味があるということだ(わかりますか?)。

つまるところ、ぼくはそこにあるもので満足し、そこで選択することに情熱を燃やす人間なのだ。出雲神話がぼくの目の前にあってよかった。



さて、出雲神話の逸話の宝庫といえば「出雲国風土記」にとどめを刺す。

神様達の逸話は、古事記や日本書紀に引けを取らないけれど、こちらのほうは出雲の地理誌としても優れていて、地名の由来はかなり面白いものがある。若い頃は感ずるところが少なかったけれど、歳をとって面白さに気付いたのが中海に浮かぶ大根島の古い地名だ。

東西3km、南北2kmの小規模の島で、19万年前に火山活動でできた島。牡丹が有名で、海外にも輸出している人気商品がある。観光名所としては由志園が有名だ。


この大根島、もともと古代は別の名前で呼ばれていた。

「蜛蝫(たこ)島」 (タコ?)


タコが何の関係があるの? そう思うのも無理もない。実際、僕も若い頃は何て名前を付けてくれるのかと驚いたもだ。そしてその由来を聞いて二度びっくり!

「出雲国風土記」に「昔、日御碕にタコがいて、そのタコを鷲が捕まえてこの島に持ってきたから「たこ島」となった」と書いてある。「たこ島」がなまって「大根島」になったそうだ。当時、住んでいた住民から反対運動はなかったのだろうか。

しかし、歳をとってみると、この名前の由来もなかなか味わい深いものがあるなぁと気づいた。鷲がタコを加えて空を飛んでいる様子を想像してみてほしい。相当、グロテスクに見えないだろうか。

タコだって逃げたいから必死で足をくねくねさせて、鷲にまとわりつく。鷲も飛ぶのに必死で、見る側からは蛇行飛行しているようにみえたかもしれない。

島の住民は「いったいどこからタコを捕まえて飛んできたのだろう」と騒ぎになる。すると隣村でもその鷲を見たという人があらわれる。そしてそのまた隣村でも同じことを言う人があらわれる。

なんといっても日御碕から大根島までは40~50kmある。鷲とタコは数村を乗り越えてはるばるやってきていることになる。大勢の人の目に留まったことだろう。そして、しまいには日御碕で鷲がタコを捕まえるのを見たという人があらわれる。

なんと、あの鷲とタコは日御碕からここまでやってきたのか、と島の住民は思ったことだろう。ひょっとしたら、鷲は力尽きて死んでしまったのではないだろうか(鷲が生きていたら鷲島になったのでは?)。タコの勝ちだ。

娯楽の少なかった古代においてこの珍事は村中のエピソードになったに違いない。

ちなみに「出雲国風土記」の島根郡朝酌郷のところに邑美冷水(おうみのしみず)という場所の記載がある。そこでは「東と西は山で険しく、南は海で広々とし、中央に沢があり、泉が流れている。男も女も、老人も子供も、時節ごとに集まって、いつも宴会する地だ」とある。

大根島から船で渡れるから、住民たちも寄り集まったに違いない。そして焚火を囲みながら、鷲とタコの珍事を面白おかしく語ったことだろう。

そしてこの逸話は伝説となった。


何もないように見える場所でも探せば面白いところなどいくらでも見つけることができる。この逸話を読みながら、そんなことをぼくは思った。


どうですか「たこ島」 

ここで食べるタコ焼きはきっと格別な味がするでしょう。

よかったら大根島にも遊びに来てください♪

(今回は長くなったのでヒトコトヌシは出てきません、ご容赦を ♪)





こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

 よかったらご覧ください ↓

いいなと思ったら応援しよう!