【神話エッセイ】秋の思い出 その3
今回の記事は(できることなら)この曲を流しながら読んでください。
ぼくは秋の稲刈り後の光景が大好きだ。
おそらくそれはこどもの頃の記憶のせいであろう。秋晴れの稲刈り後の田園は学校から帰ってくると格好の遊び場に変わる。近所のこども達と野球をする場所になるのだ。
今から考えると小学校から帰ってくるのはだいたい3~4時すぎ。それから秋の夕暮れまでだから5時を過ぎると暗くなり始めるので、1時間もあればよいほうだろう。それだけの時間なのに、ずいぶんと遊んだ気がするのは今でも不思議だ。
普段は家の庭で野球をするのだけど、いくらやわらかいボールとはいえ、当たってガラスが割れることもある。よって、こどもながらに手加減をしながら遊ぶことになる。それと比べると、断然田んぼのほうがのびのびとできる。稲刈りの後だからといって田んぼに入って遊んでいいということにはならないのだけど、まぁ当時はおおらかというかそれが普通だった。
結局、ぼくはその後野球で活躍することはなかったけれど、一緒に遊んでいた一人は最後まで野球を続け、今では甲子園出場校の監督を務めるまでになった。大したものだと思う。
もう田んぼで野球をするようなこどもは見かけないけれど、秋になるとあの頃のことを思いだす。忘れられない思い出だ。
*
さて、もし今この文章を(ぼくの指示に従い)音楽を流しながら読んでいるという人がいるとしたら、なぜこの曲と稲刈り後の風景が関係あるのかと不思議に思うかもしれない。
このバンドはフーターズといって、80年代に活躍したバンドだ。
ぼくはラジオでこのバンドの曲を聴いてとても気に入り、すぐにLPレコードを買いにいった。
ふつうはアルバムの中にレコードが半透明のビニールに入れられてはいっているのだけど、このアルバムはインナースリーブ(内袋)までついていた。
そう、この内袋の光景が稲刈り後の風景を思い出させてくれるのだ(おそらくこのジャケットの風景は麦だろう)。
フーターズはフィラデルフィアのバンドだ。
フィラデルフィアが田舎なのかはいったことがないのでわからないけれど、地図で見てもそんな田舎には見えない。というか大きな都市である。
なぜ都市部出身のフーターズが田舎のような場所で写真を撮ったのかということになる。おそらくフーターズはかなり珍しい楽器を多用するルーツよりのバンドだったので、そこからこのアルバムの風景を思い付いたのかもしれない。そしてそのことが、このアルバムをぼくの田舎と(個人的ながら)結びつけているのだろう。
というわけで、秋の稲刈り後の田んぼの光景を見ると、ぼくは少年時代を思い出し、フーターズの曲が頭の中に流れてくるのだ。それはちょっとした素敵なことだ。
自由にだって浮き沈みがある
うら寂しい町の通りを歩く
付き合ってくれる人はいないかな
誰かぼくに話しかけてくれる人
ぼくはここでひとりぼっち
風はふるさとに向かって吹く
いつかぼくらもいろんなことが判るさ
過ぎ去った日を思って
めそめそと泣くことはないんだ
カーラ、頑張りさえすればきっとうまくいくよ
*
古代出雲の地理誌「出雲国風土記」に飯石郡・多禰(たね)郷の記事がある。
この名の由来は大国主命がスクナヒコと天下を巡った時に、この地に稲種を落とされた。よって多禰(タネ)という。
ぼくらのような平地に住んでいる場所と違って、中国山地で採れるコメは味が格段に秀でているといわれる。
はたしてそれが大国主命とスクナヒコの稲種のおかげかはわからないが、そう思うとありがたい気がしてくるから不思議である。
大国主命とスクナヒコも稲刈り後の田んぼで遊んだりしたのだろうか?
暗くならないうちに家に帰らないとネ
ワンウェイホーム ♪
*
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
出雲にお越しの際、多根に訪れたおりにはよく地面を注意してみてください。
大国主命とスクナヒコが落とした神々しい稲種が見つかるかもしれませんよ♪
それではお待ちしています m(_ _)m
あれ、今回は神在祭について書かなかったな(汗)
こちらでは出雲神話のエッセイを集めています。
よかったらご覧ください ↓ ↓ ↓