今日から雨男やめます! からの幸福の話
私は何かをやろうとすると雨が降る。
修学旅行や何かの一大イベントの時は雨が降る。
雨が止んだと思ってちょっと出かけると、忽ち土砂降りになったりする。
周りからも強力な雨男と呼ばれています。
▽雨が降るか降らないかは所詮”運”でしかない
しかし、ちょっと待てよ。。
人は自分にとって良くない出来事は記憶に残りやすい。
多分、めちゃくちゃ晴れた時もたくさんあるはずだよな。
一年で晴れている日の方が圧倒的に多いわけだし、実は晴れ男なんじゃないか?
と色々と考えていた時に、昨日紹介した書籍
『7日間で「幸せになる」授業』 ではこんな事が書いてありました。
(昨日のnote ↓↓)
【不幸】私は運に見放されている
【幸せ】私は運がいい
こう考えているようです。
実は晴れるか、雨が降るか、なんてのは”運”に過ぎない。
あぁ、また雨か〜(運が悪いなぁ)と考えるのは「不幸」へと導くマインドなのかもしれないと思いました。
と書かれていて、自己肯定感が高いと自分に自信がつき、ポジティブ思考になっていきますもんね。
なので、今日から「自分は運がいい人」と思うようにしていき、雨男を名乗るのをやめます!笑
▽あえて口に出すことで幸福を手に入れる
「自分は運がいい!」とか「自分は恵まれている!」とか「自分は幸せだ!」とかポジティブな発言はどんどん口にしていきたい。
けど、何なんだろう?
この日本では自分の事をポジティブに表現する事のしにくさ。
そう感じている人はいませんか?
先日の話。
最近やたら「幸せ」とか「幸福」という言葉をよく私は発している。
あるとき、職場のスタッフに「”幸福”って宗教っぽくありません?」と言われました。
その時は「あ、そんなイメージが確かにあるかも」と思いしました。
「幸福の○○」なんていう宗教ありましたもんね。
あとは政治っぽいとか、、。
「幸福実現党」とかもあるしね。
でもね、後から考えて「幸福」っていうのは何物でもない”人の幸せ”なんだけど、現代は宗教とか政治が先にイメージされちゃう日本てどうなんだろう?って思いました。
ちなみにGoogleさんで検索しようとしてみると。
幸福の〇〇がトップに出てきますね。
「宗教=あまり良くない」イメージが付いちゃっているのも如何なもんかと思いますが、気軽に「幸福」を口にできないってちょっと将来危ないんじゃないか?我が国。と思ってしまった。
▽お金を超稼ぎまくる人のイメージ
お金を稼ぐイメージもそうですよね?
超お金持ちを怪しんだり、お金を稼ごうとするとちょっと”悪い人”みたいな印象になってしまうのは何故なんだろう?
特に私のような福祉職はその傾向「お金を稼ぐ=悪」が強い気がします。
(国民の税金の部分があるからね。。)
ボランティア精神とは何でしょう?
活動の対価として見返りを求めないことが、ボランティアの基本。
福祉業界とボランティアは結びつきやすいんだけど、だからこそ福祉側にもボランティア精神があると勘違いしちゃっているのかもしれません。
私はボランティア精神とは仕事以外の場所で発揮するもので、仕事でボランティア精神だ!と強いるのはどうなのか?と思う部分もあったりしています。
「自分は幸せだ!!!」「自分はお金持ちだ!」とアピールしたもんなら周りから白い目で見られそう。
「アイツはパリピか?」と思われるんじゃないか?妬まれるんじゃないか?と思わせてしまう今の日常のなんとなくの雰囲気や状態が、全体の幸福度を下げていて、日本の幸福度ランキングは主要先進国最下位という現実を生んでいるような気がしてならない。
「自分は将来こうなりたい!そのためにまずはしっかりお金を稼ぐ!」
と堂々と言える社会になって欲しいですよね。
何だか、雨男の話からお金を稼ぐ話までだいぶぶっ飛んだな。。笑
題名を変えた方が良いのか悩む。笑
(結果、少し追加した)
▽幸福のアウトプット
先日のセミナーでの話。
「今って幸せですか?」と聞かれ壇上の上から「自分は幸せだと思います」って堂々と言ってやりました。笑
案の定、懇親会の席で「今、幸せなんだからいいじゃない」と言われました。誰に何を言われようがこの先ずっと「幸せだ」と思い続けたい。