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眼球譚
― 註のふたつあるモノローグ ー
洗面器から眼球を拾いあげた
まえまえからいつかはこいつを
この目でみてやろうと思っていた
こうしてじかに手にとってみると
充血していていかにも汚いねェ
いったい目玉としてこの世に生まれてこのかた
なにをみてきたのかね
女の尻と顔の相関曲線の作成に
血まなこになるのもいいけれど
たまには夕陽のスペクトルで角膜の
洗浄をしてみてはどうかね
みることは奪うことだ
と いつかいっていたね
みることにかけてはとてつもない怪物だった
あのマルテを気取って
奪い尽くすにはおまえの水晶体は厚すぎて
網膜に像が届かないのじゃないかね
おまけに慢性結膜炎気味でもあるし
とりあえず冷たい水で洗ってやろう
まるごと洗ってもらえるなんて
最初で最後だな きっと
へんな味の水 だって?
清潔このうえない生理食塩水だよ
案外硬いねェおまえは
ぼくはまたプリンみたいに
ぷよぷよしていると思っていたよ
少々手荒にあつかっても大丈夫のようだ
ところで
目玉の妖怪に鬼太郎という息子がいて
その鬼太郎が魔界いや妖界を遍歴する
物語だったなあ
同じ目玉でもおまえには子供をつくるなんて芸当
とても無理だろうなあ
たとえばおまえには空が
球面にしかみえない
なぜ空が青いドームにしかみえないか解るかい
視点をひとつしか持てないからだよ
視点をふたつ持てばおそらく
空は楕円体の一部にみえるはずだ
そのかわりヤブニラミの副作用は避けられない
視点がひとつ増えるんだ
その位の障害は覚悟するんだね
では視点をみっつ持てばどうかな
空はだんだん角ばってくると思うなあ
もうヤブニラミどころではなくなって
黒目がどんどん変形して
コンペイトーみたいになるかも知れない
無限の視点を会得するにいたっては
空はフライパンにみえたり直線にみえたり
裏返ってみえたりして
アインシュタインも卒倒するだろうなあ
くだらないだって?
だからおまえにはセックス・アピールが
不足しているというのだよ
想像力とセックス・アピールとは君
手術台の上で不意に出逢った
ミシンと洋傘のようなものだ(註1)
若年性老衰症にはまだはやい
性的に きわめて並外れて!
8分20秒前の
永遠に既在の太陽しかみえない
そんな目玉であってほしくはないものだ
光を追い越し妄想逞しく
一雫の涙をも見逃さない視力を!
おまえを針で突いたとしたら
角膜を覆っているそのあいまいな半透膜が
ブドウ羊羹の皮のようにはじけ飛び(註2)
世界はあらゆる場所からまくれあがり
夜盲症の虹彩にむかってなだれ込むだろう
もはやみるべき何ものをも消失し
闇は闇であることをやめ
光は光であることをやめ
海のような寂寥が現れる
私の目玉よ
充血した眼球よ
世界は美しかったかい
イチゴジュースの通俗的な赤だって
まんざら捨てたものでもないだろう
不思議だなあ
ぼくにおまえがみえるなんて
おまえにぼくがみえるのかい
目のない顔は薄気味悪いだろうなあ
まるでオィディプスだ
きのうは髭を右の頬から剃ろうか
左の頬から剃ろうか
右のモミアゲからにしようか
それともアゴからにしようか
と考えているうちに日が暮れた
水晶体が濁りはじめないうちに
もとの骨の穴にもどしてやろう
どうだい はいり具合は
みえない
みようとする中心がみえない
虹彩異常は?
神経系統は?
中心性脈絡網膜症だって?
眼科医を
正しい処方箋を!
(註1)
ロートレアモン『マルドロールの歌』第六の歌
―ミシンと洋傘との手術台のうえの不意の出逢いのように美しいー
(粟田勇訳)
(註2)
ブドウ羊羹とはブドウの形をした丸い羊羹が一粒一粒ゴムの薄い皮膜に包まれていて、食べるときは爪楊枝でその皮膜を突いてやると皮が破けなかの羊羹がでてきて、食べられるようになるもの
(詩集『夕陽と少年と樹木の挿話』第4章「夏を採集する」より)