仙台幻視行(その1)
1.とある12月の日曜日:
伊丹空港から仙台に飛んた。
離陸のとき整備員が手を振ってくれた。
行ってくるよ~。
生まれて初めての仙台。
まず何はさておき牛タンを食べた。
これが仙台に来た大きな理由のひとつだ。
JR仙台駅で途方に暮れた。
駅から地上に降りられないのだ。
なにしろ駅を出たらいきなり二階なのだ。
巨大なテラスから、
タコの足よりも多い歩道橋が、
地上に延びていて、
どこを降りればどこに行けるのか、
サッパリ分からないのだ。
おかげで詩の朗読会に遅れてしまった。
朗読会に行くことが一番の目的なのだ。
仙台空港で食べた牛タンの感動もぶっ飛んだ。
朗読会はもう始まっていた。
狭い会場だった。
私が遅れて入ってきたことなど、
誰も気にしない。
気にしてくれない。
詩人がドラムと怒鳴りあっていた。
詩人の声がドラムの音にかき消されそうだ。
ほとんど聞き取れない。
なんだかろれつも回っていない。
大丈夫か?
言葉なんか聞こえなくていいんだ。
言葉が消えて初めて詩が生まれる!
詩人はそう言った。
あぁ、私は詩人にはなれない。
外に出た。
夕方になっていた。
仙台のメタセコイアは黄色だった。
神戸のメタセコイアは、
今頃は純情そうに赤く染まっているだろう。
仙台のメタセコイアさんごめんなさい。
別にあなたがすれっ枯らしだと、
言っているのではありません。
イチョウと見紛うほど黄色かったので、
驚いただけです。
正直ちょっとぶったまげました。
懇親会があるので参加したい人はどうぞ、
会費は4500円です。
詩人の声に釣られて後を付いて行った。
(本当は最初から参加するつもりだったけど)
脊椎を圧迫骨折していて腰が痛くて歩けない。
そう言い残して、
途中まで一緒に歩いていたおばあさんは、
タクシーに乗って先に行ってしまった。
会場は仙台駅の構内にある中華料理店だった。
「中嘉屋食堂 麺飯甜」。
何と読むんだろう?
テーブルが3卓用意されていた。
私は真ん中のテーブルにした。
あのおばあさんが何故か私の隣に座った。
うちのおとうさんは家でなんにもしないの。
朝昼晩のご飯全部私に作らせて、
自分は寝転んでテレビを観てるだけ。
それで夕方の5時にはもう寝てしまうの。
そしたらひとりで何もすることがなくなって、
わたしも6時頃には寝るのよ。
でもおとうさん静かに寝かせてれないの。
夜中にしょっ中起きだしてトイレに行くの。
それに鼾もうるさいし。
だから別の部屋で寝てるの。
オレは毎日朝メシを作っているぞ、
食べた後は食器を食洗器に入れているぞ。
と心のなかでつぶやきながら、
私はおばあさんの話を笑いながら聞いていた。
おばあさんは親切な人で、
いろいろ私の世話を焼いてくれた。
料理は取ってくれるし、
ビールはついでくれるし。
ただ問題があった。
取ってくれた料理はお皿からこぼれるし、
ビールはコップからそれてテーブルにこぼれるし、
そこら中びちゃびちゃになった。
私は笑い顔をこしらえるしかなかった。
おばあさんは仙台に住んでいると言う。
圧迫骨折で腰が痛いのに、
歩いてホテルの前まで私を案内してくれた。
頭がさがる。
なのに、ありがとうしか言えなかった。
ホテルにチェックインすると、
サービスに「アパ社長カレー」を貰った。
予約した部屋は想像を絶する狭さだったけれど、
カレーの箱を見ただけで嬉しくなった。
あぁ、私は詩人にはなれない。