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嵯峨野の月#123 哀しい哉
第6章 嵯峨野7
哀しい哉
昔、高野山の頂に二重の屋根の間に珠を挟んだような奇妙な形の建物があった。
東南院と呼ばれたこの草庵は
仏教の宇宙説にある想像上の霊山、須弥山を再現させたい。
という空海の理想のもと真っ先に建築に着手した建物だが、
建築責任者である空海自身が都での務めで留守がちになったり、
唐の最新技術をそのまま用いた設計と構造の複雑さに麓に住む木工職人集団の秦一族が技術を身に付けるのに苦労したり、
高野山特有の激しい落雷やら積雪やらで何度も作業は中断され、
まずは東南院、次に講堂と修行道場として最低限の施設の完成も近く、あと数年で他の弟子たちも呼べる。と積雪の中上頬を上気させて講堂を見上げるのは空海の代わりに建築の陣頭指揮を執った智泉阿闍梨。
空海の甥で第一弟子でもある智泉は彼がもたらした教えと技術を最も熟知し、叔父不在の高野山での建築事業もやっとここまで来た…という感慨とともにこの世で最も難しいのは
人の頭の中の構想を形にして現世に残す。
という事かもしれないが、まずは大勢の力を借りて解って貰えるまで辛抱強く説明する。
つまりは人を動かすために自分の考えを理解してもらえることが一番大変だった、とこの十年で思い知ったのだった。
この東南院も外装が終われば完成か…と雪に覆われた白木の須弥山を眩しげに見上げた智泉の視界がみるみる霞んでゆく。
「智泉はーん、早う中に戻らんと風邪引くでー」
と心配して東南院から出てきた実慧の目の前で智泉は雪の上にずるりと膝を付いた。慌てて実慧と弟子たちが抱き起したその体は炭火のように熱かった。
高野山を拓くために無理を押して働いてきた智泉の体力はもう限界に来ていた。
焚火の匂いと誰かの胸の温かさの中で智泉は目覚めた。「大丈夫か?」と自分を覗き込む私度僧の顔と声はまさしく若い頃の叔父空海で、自分はまだみずらを結った童だった。
ああそうか、私は修業中の叔父について托鉢の旅をしていた頃の夢を見ているのか。
あの頃の自分らは私度僧とその稚児という何も持ってない立場だったけれど、その分身軽で自由で何処までも歩いて行けたなあ…
季節ごとに彩りを変える山の木々や叔父の背中からふと目線をずらした先にある何処までも続く空と海。
本当に美しいものは人の手の届かぬ自然の領域にある。
と自分はあの旅の中でとうに気づいていた。
全ての物は最初から在って無いようなもので人が拵えたものも時が経てばいつかは消え去る。
という仏教の無常観を胸に抱きながら山林を切り拓き、叔父と共に地固めをし、落雷で建物が燃えればそこからやり直せばいい、と無理をおして働いてきた高野山での十年に悔いは無い。
ただ心残りと言えば、外形が出来上がったこのお堂を叔父上に見せたかったなあ…
と何日も続く高熱で切れ切れに見た夢の中で智泉が思った時、温かい水滴が顔に降り注いだ。
これは須弥山で降り注ぐという甘露なのか?ならば自分はもう。
と思って目を開いた智泉はそれが叔父空海、その弟真雅、空海の書記係である真済、そして看病役の実慧の眼から零れ落ちる涙の雫だと気づいた。
忙しい叔父上に知らせを寄越すのは自分が死んだ時だけにして欲しい。という約束を破った実慧は
「血の繋がった一族同士なら、間に合うように早文を出すのが当たり前やないかい…」
とぼろぼろ涙をこぼして嗚咽した。智泉には彼を咎める気は無く、寧ろ感謝の眼差しを向けた。
そして自分の手を強く握ってくれている叔父、空海に向かって
「…このお堂、見てくれましたか?」と訊ねると叔父はさらに強く手を握り
「実に美しいお堂や、智泉、お前本当によくやった。だから…逝かないでくれ」
政変から朝廷を救い、旱魃に雨をもたらし国を救った聖。
とまで呼ばれる空海阿闍梨が初めて未練を口にするのに弟子たちは一瞬泣くのを止める程驚いた。
叔父上は元々こういう人なのですよ…苦笑した智泉は薄れてゆく意識の中で、
「それは無理です。命を使い切った私の代わりに皆さん、どうか叔父上と高野山をよろしく」
とはっきりとした口調で告げると壁に掛けられた胎蔵界曼荼羅に目を向け、そこに自分がかつて見た光景、
壁一面に猪、鼠、鶏と干支の動物や宝を乗せた船や壽という字が切り抜かれた切り絵が貼られて開け放たれた戸からの風で朱色の切り絵の下地がはためく太宰府の鴻臚館の一室。
そこに自分一人だけ立っていることに気づいた智泉は、
そうか、私はもう誰の背中も追わずに一人で歩き、人を先導できるようになっていたのだな。
と納得してひとつ頷くと、外に広がる美しい空と海に向かって歩き出した。
天長二年二月十四日(825年3月25日)
智泉入寂。享年三十七才。
幼い頃から空海に仕え、いずれ真言宗を継いで弟子たちを導く。と目された若き僧侶の、あまりにも早すぎる死だった。
弟子たちを悩ませる異変が始まったのは智泉の死から七日目の法要を終えた直後、
袈裟を脱いで白衣になった空海が筆を取り、都への報告と思いの丈を綴った長い文を書き終えるとそのままぱたり、と文机に突っ伏して動けなくなってしまったのだ。
「息はあるし、意識もあるのに私たちの呼び掛けに反応なさらない…いったいこれは何の病なのだ?」
空海は壁にもたれて座ったまま寝食をせず、唇に水の入った器を押し付けるととごくり、と喉を鳴らす。能動的に生きることを放棄してしまったようなこの症状は一体なんだ?
医術を身に着けた僧侶たちが寄り集まっても初めての症例に治療法が解らず、頭を抱えるばかり。
「と、取り敢えず、早文を出さなければ」
と懐に文を入れた実慧が山を降り、
中腹にある草庵に待機していた騒速と彼の義兄で麓の天野の里長である田辺波瑠玖に文使いのついでに師の症状を相談すると、波瑠玖は思い当たる「何か」を引き出すために烏帽子を取って結った金髪をわしゃわしゃ搔きむしり、やがて「あ」と声を出した彼の青い瞳に光が宿った。
「おいソハヤ、麓から真魚さん充てに文が来てただろ?それ開けて読んでみろ!俺はここで煎じ薬を作る」
と言って彼が携帯用の竹籠から取り出したのは…
漢方で烏樟と呼ばれる黒文字の葉と枝に今年咲いたばかりの花を混ぜて乾燥させて刻んだものだった。
烏樟は抗炎症効果、胃腸を整える効果、そして鎮静効果がある。僧侶たちは口中を清めるために枝で歯を磨き、薬酒は胃もたれを和らげ寝つきを良くする薬として渡来人や一部の貴人に用いられていた。
鍋に湯を沸かし、薬を煎じている間に実慧の許可を得て文を開いたソハヤと実慧は「…これは最上の妙薬となる!」驚きと歓喜で興奮した顔を見合わせた。
「確か御心の病にはこの真言ですよね?」
「うむ、絶対効くと信じて皆で唱和するぞ」
と僧たちが空海自身の加持祈祷の準備に取り掛かったその時、庵の戸を強引に開けて入ってきた波瑠玖は僧侶たちの制止も聞かずにずかずか踏み入り、空海を見つけて彼をくまなく観察した。
「やはり祖父が言っていた通り、真魚さんは重篤な気鬱の病だ」
と診断するとそのまま空海を背負い、空海の実弟真雅に同行してもらって山を駆け下りた。
山道に慣れてない真雅が息切れするので一里走るごとに休憩しては地べたに座り、腰にぶら下げた竹筒の栓を抜き、烏樟の煎じ薬を空海の口中に流し込む。
「よーし、飲んだ飲んだ。しばらくすると薬が効き始めて眠くなる。寝たら疲労が取れる」
「まさか歯磨き枝が心の病の薬になるなんて…」
と息をついて竹筒の水を飲む真雅に、波瑠玖は
「俺たち胡人の一族が暮らしていた頃の高野山の頂は生きるのに厳しい環境でな。
冬と夏しかないお山で雷に怯えて暮らしていると嫌でも心を病む。そんな時、祖父が病人に飲ませていたのがこの煎じ薬なんだ」
「効果は?」
真雅が問うと
「昔、真魚さんがこれを飲んで俺を投げ飛ばす位元気になったから覿面だぜ」
と波瑠玖は自信たっぷりに笑って再び彼を背負い、目的地まで四里半(約18キロメートル)の山道を休憩しながら走り抜けた。
薬の効果で波瑠玖の背中で眠っていた空海が目を覚ました時、汗だらけになった波瑠玖に背負われて麓の一の政所(高野山入口の庶務所)まで連れられて来た事に気づいた。
「何でわしはここにおるんや?」
「やっと気が付かれましたね、兄上。ともかくこの文を読んで中にお入りください」
弟に差し出された文を読んだ空海は破れそうな程紙を握り締めて何度も何度もその文面を読み返し、
「行くで、真雅」
と意を決して政所の中に入ったその先には、齢八十を過ぎて年老いてはいるが、ふくよかな面差しは唐留学前に実家で別れた時と変わらない母、玉依がいた。
「母上」
「あなたが開いたお山が見てみたくて、年老いた身ながらここまで来てしまいました…真魚や」
と母が名を呼んでくれた瞬間、空海は母の膝に顔を埋め、今まで心に蓋をしてしたもの全てを解き放つかのように
「智泉…智泉…智泉っ!何で逝ってしまったんだ!?」と大声で泣き喚き続けた。
玉依は幼いころから息子にそうしてきたように
「よしよし」と息子の頭を撫でた。
その様子を傍で見ていた真雅は、兄上は、
密教の正統後継者という立場。
真言宗という国家後任の宗派。
そして国家鎮護の僧。
という重荷を一人で背負いすぎて、心が潰れそうになっていらしのだ…と自分も年上の甥を失った哀しみに向き合っていなかったことに気づき、涙を流してしゃくりあげる。そんな彼に、
「子供のころは泣かない子だったからかえって心配しましたよ」
と声をかける玉依お付きの女人の顔を直視し、それが九歳の時に故郷讃岐を出て以来会っていない実母の波也女だと気付くと、
「突然やって来て修業の身を惑わせないで下さいよ…」
と口では言いながらも行動は兄と同じく母に取りすがってむせび泣いた。
哀しい哉 哀しい哉
哀れが中の哀れなり
悲しい哉 悲しい哉
悲しみが中の悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉 復哀しい哉
悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉
哀しくて、哀しくて、もっと哀しくて、
悲しくて、悲しくて、さらに悲しくて、
感情が高ぶり、抑えきれないほど
どうしようもない思いが溢れてくる。
悟りを開けば、
この世の悲しみ、驚きは すべて迷いの生み出す 幻に過ぎないことはわかっています 。
それでも、あなたとの別れには
涙を流さずにはいられません。
それでも
悲しいのです。
と空海からの文に書かれた亡弟子智泉が為の達嚫(説法)を読んだ皇太后、橘嘉智子は最初、全ての物事において達観なさっていると思われた空海阿闍梨もこのように悲しまれるのか。といたく驚いた。
そして…
「今日は頭が痛いのでこのまま下がらせていただきます」
「まあ姉上、無理なさらないで養生
してくださいね」
「そうさせていただきます」
と頭痛に苦しみながらも表情を崩さず団扇を掲げて退出する姉、橘安子との最後の会話を思い出し、涙が溢れて止まらなくなった。
思えばお姉さまは一室に籠められて育った時も、帰りたくない橘家でお産をする時も間に立ってずっとわたくしを守ってくださった。
それが、卒中の発作で突然逝ってしまわれるなんて…!
お姉様、お姉様…と繰り返し呟いて泣いている自分の肩に手を置いて慰める夫の嵯峨上皇もまた、涙を流し顎から雫を落としていた。
「この文を読んでから伊予の兄上との思い出ばかりが浮ぶのだよ…ここは離宮だ。遠慮なく泣きなさい」
夫婦は離宮の一室で抱き合い、人目もはばからず大声で思い切り泣いた。
そのお声を背で聞いていた明鏡はじめ、お付きの者たちは皆、
貴人のお世話は
見ざる、言わざる、聞かざる。
の三つの教えを守って陰日向に仕えるべし、と心得てはいるがこの時ばかりは皆が貰い泣きをした。
玉依は波也女と共にと再会したその日に息子の手で出家して尼となり、後に慈尊院、女人高野と呼ばれる政所の庵主となった。
智泉の弔いの法要を終えた空海は都に戻るために下山の準備を終え彼が最期を迎えた東南院、後の世に
根本大塔
と呼ばれる建物に向かって心で呼びかけた。
智泉。
わしもお前が今際の際に言った言葉の通り、これからやるべき務めの為にこの命、使い切る覚悟や。
と向きを変えて歩き出した彼の目にはいつもの活気が戻っていた。
高野山壇上伽藍につづく蛇腹道の側の、人目につかない所に寛政の頃に建てられた、と言われる智泉大徳廟があり、山紫陽花と高野槇に囲まれたその場所で慎ましい彼の人柄そのもののようにひっそりとその御廟は佇んでいる。
後記
取材とこの身に過ぎた話を書かせてもらうことをお詫びに智泉さんのお墓参りして来ました。丁度四年前のことです。