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嵯峨野の月

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嵯峨天皇と空海が作った「日本」の物語。 昔、日の本のひとは様々な厄災を怨霊による祟りと恐れ、怯え暮らしていた。 新都平安京に真の平安をもたらす二つの日輪、嵯峨天皇と空海の人生を軸…
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#歴史小説

嵯峨野の月#117 朔日の色

嵯峨野の月#117 朔日の色

第6章 嵯峨野1朔日の色

その皇子は
自ら皇族に生まれる事も
長じて親王として遇される事も望んではおらず兄帝に臣籍降下を願い出たけれども

「式家出身の夫人、藤原旅子を母に持つお前を皇族から外すわけにはいかない」

とかなり厳しめに断られ、臣下というただ人になって自由になるという唯一の途も断たれた。

ならばいち親王として静かに暮らしていればいいさ。
と思って与えられた務めをこなして過ごしていた

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嵯峨野の月#136 草木の如く

嵯峨野の月#136 草木の如く

第六章 嵯峨野19

草木の如くそれは神野が元の諱の賀美能であった幼き頃より父桓武帝から

「いいか賀美能、ゆくゆくは天皇となってこの国を治め、民を支える柱となるのだぞ」と

自分が生まれてきた意味。

を繰り返し聞かされ、即位してからは努めてそのようにふるまってきたつもりなのだが、

即位早々兄上皇との諍いが元で兄の側近仲成と薬子を死に追いやり、
経費不足で新都平安京の造営も東国進出もままならず

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嵯峨野の月#135 観月

嵯峨野の月#135 観月


第六章 嵯峨野18観月

平安初期の日ノ本は、誰の子に生まれたかでその後の人生が大体決まってしまう厳然とした階級社会であった。

貴と賎。富と貧。

そして勝ち組と負け組。

という対極する二種類で人間は分けられていてそれを仕方のないことだ。と疑問を持つことも憤る事も無く民たちは今いる環境の中で死ぬまでの期間を生きたこの世情で、

かつての政変の負け組として処刑された南家の藤原巨勢麻呂の孫に生ま

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嵯峨野の月#3 若い世代の野心

嵯峨野の月#3 若い世代の野心

第一章・菜摘

第三話 若い世代の野心

弟皇子など、いらぬ。

という声が頭上から振りかかった。真っ暗な闇の中から手が伸びてきて、首の両側を圧迫する。
角髪が崩れるほどに顔を振り続け、自分は抵抗する。
はあっ!はあっ…はあはあ…うっ!

「まただわ!」

と高津は起き上がり、床の隣で眠りながら喘ぐ夫、神野の「発作」を鎮めるため、まず夫の両胸を抑えて揺すった。

「お兄さま、お兄さま!」
うかつに

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嵯峨野の月#4 その男、空海

嵯峨野の月#4 その男、空海

第一章・菜摘

第四話 その男、空海

神野は、冬は嫌いだった。

野に出て狩りも出来ぬし、軽々に外出もままならぬ親王という身分がこの季節には首枷のように重く感じるのである。

それに、雪が積もると恐ろしい夢を見る。

そんな時は巻物を持ち込ませ書を読み学問をし、唐の詩人、孟浩然の春暁を諳んじ、まだ来ぬ春に思いを馳せるのだ。

春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少

春眠暁を覚えず
処処

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嵯峨野の月#5 讃岐から来た少年

嵯峨野の月#5 讃岐から来た少年

第一章・菜摘

第五話、讃岐から来た少年

昔、ある少年が故郷から都へと旅立った。

少年が一族の中でずば抜けて学問に秀で、都に居る叔父にその才を見出されたからである。

この子の才は故郷で朽ちさせる訳にはいかない、是非都に上って大学寮に行かせるべきだ。

ゆくゆくは官吏か博士になり、朝廷にお仕えするのだ。

それが、一族の為になるのだから。と叔父は主張し、故郷に迎えの者を寄越した。

「しっかり

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嵯峨野の月#6 長岡京、崩壊

嵯峨野の月#6 長岡京、崩壊

菜摘6長岡京、崩壊

何故、朕のやる事なす事すべてが裏目に出るのだろうか?

長岡遷都は間違いだったのだろうか?

難波宮から移築した宮殿の外では、梅雨の大雨が強く激しく、地面を打ち付ける。

延暦十一年(792年)。

長岡京遷都からずっと忌事続きだった桓武帝が正気を保っていたのは、ほとんど奇跡に近い。

忌事は、遷都翌年の種継暗殺事件から始まった。

調べてみれば弟早良寄りだった大伴一族や春宮

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嵯峨野の月#7 仏への道

嵯峨野の月#7 仏への道

第一章・菜摘仏への道

「わしの名は戒明、この庵のあるじじゃよ」

と老僧は名乗り、沸かした湯で干飯をもどした湯漬けの椀と箸を真魚に手渡した。

都を出て以来の温かい食事にありつき、真魚ははふはふ言いながら箸で飯をかっ込み、すぐに椀を空にしてしまった。

その様子を戒明はにこにこ見ながら
「その様子じゃお前さん、崖に身を投げに来た訳じゃなさそうだね」と安心したように言った。

え、あの崖は自殺の名

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嵯峨野の月#8 最澄とは?

嵯峨野の月#8 最澄とは?

第一章・菜摘88話 最澄とは?

どうして人は、自分の思うようには生きられないのだろう?

時が経つのも忘れて滝に打たれながら、真魚は思った。
目を開けて手をかざしてみると、手のひらに水が溜まる。

この水も冬には凍ってつららとなり、春には溶けて河を流れ、麓の村の田畑を潤してくれる。
そして、梅雨の頃には大雨となって洪水を起こし、人びとの暮らしに牙を剥く…。

刻一刻と変わる存在。人のこころも

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嵯峨野の月#10 葛城山へ

嵯峨野の月#10 葛城山へ

第一章・菜摘第10話 葛城山へ

今夜は、朧月夜ですな、山部王(桓武帝)さま。

あなたも新都の内裏でご覧になっていますかな?拙僧が大安寺を出て早や十五年。

この頃よく、思いだすのですよ。平城京であなたさまとご学友の種継さまと語り合った若き日を…

「奈良の僧で話せるのはお前ぐらいだ、戒明」とよく種継さまを連れて私の所へ遊びに来て下さいましたね。

あの頃のあなた様は皇族とはいえ先の壬申の乱の負

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嵯峨野の月#11 賀茂のタツミ

第一章 菜摘第十一話 賀茂のタツミ

「ほう、確かに秦氏からの紹介状だな」

と勤操から預かった書状を開くその男は、威張りくさって岩の上に腰掛けていた。

白い上着と袴に草鞋を履いただけの簡素な恰好をした垂髪の男は、年齢は見た目三十四、五というところ。

凛々しい眉に真っ直ぐで高い鼻梁を持ったいい顔立ちなのだが、野生の獣のような油断ない目つきで真魚を見下ろしている。

「お頭」と周りの者たちから呼

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嵯峨野の月#14 決心と清算

嵯峨野の月#14 決心と清算

第一章 菜摘第十四話 決心と清算

真魚が修験道の行に入ってから一年が経とうとしていた。

長のタツミはじめ修験者たちの指導による激しい行の連続で真魚の頬は一回り削ぎ落され、眼光は厳しく鋭くなった。

「おん まゆら きらんでぃ そわか おん まゆら きわんでぃ そわか…」

と両手の親指、人差し指、中指を組んで薬指と小指は立てる印を結びながら孔雀明王真言を二万回言い終えた時である。

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嵯峨野の月#16 撫子

嵯峨野の月#16 撫子

第一章 菜摘第十六話 撫子

「今のお前と同じように私を嗤った者が居た…うん、もう死んだから言ってもいいだろう」

「どなたで?」

和気清麻呂。とぼそっと去年死んだ忠臣の名を呟いて桓武帝は息を吐きながら肩から全身の力を抜いた。

「あいつは事件の全ては私の謀だと見抜いていた。種継暗殺の報を聞いて山背国から戻って来たあいつは、醒めきった目で私を見ていたよ」

「たしか清麻呂さまは種継さまと同期で徐

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嵯峨野の月#17 明星

嵯峨野の月#17 明星

第一章 菜摘第十七話 明星

土州(高知県)室戸岬から見える水平線に橙色の夕陽が最後の煌めきを放って沈み、青鈍色の空に一つ、宵の明星が瞬く時、智泉は

ああ、またこれで一日が終わるのだな、叔父上は今日も生きながらえました。
と感謝の気持ちいっぱいで明星に手を合わせるのだった。

このかぞえで十一になる童子は後に菅原道真を輩出する菅原氏の男を父に、真魚の姉を母に持ち、何の疑問もなく成長したらお前

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