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好きなものを好きと言えるようになるには、障害が多すぎる。

部屋のレイアウトを考えている時に、レビューで可愛い部屋に可愛いぬいぐるみが置いてると羨ましいなぁって思う。

何が羨ましいって、そのぬいぐるみを可愛いと思って、買えたことが羨ましい。
本当はどうかなんて本人にしかわからないけれど、私は素直に買おうと思えるほど、それらの良さがわからない。
でも私が可愛いと思えなくても、世間的には可愛いとされてる物だってことはわかるから。

可愛いものを求めているのに、私が好きになるものは雰囲気に合わないものばっかりで、正直がっかりする。
そのがっかりも、そのキャラクターに対してじゃなくて、それを良いと思う感性に生まれてしまった私自身に向けて。

感性は生まれ持ったもの。どうしようもないもの。それを受け入れていくしかないし、受け入れた方が幸せなのはわかるけど。

何年もかけて、女の子として生きていくからには、せめて可愛くいたいと思うようになった。
やっとそう思えるようになったのに、今度は私の感性が邪魔をしてくる。

あの服に似合うアクセサリーを、
この鞄に合うキーホルダーを、
あんな部屋に合うイラストを、
私の感性が台無しにする。
そして私は、それらを共存させるほどの素敵な感性も持っていない。

私が望むものと、見た目も色合いも何もかもが違うものをいいなぁと思うたび、
素直になろうと言う自分と、合わないのに?と否定する自分が必ずいる。

素直になれば、水を差す人がいる。
差された水を受け流せない自分と、恥じらいの気持ち。
自信を持てない自分への嫌悪と、好きなものへの申し訳ない気持ち。

私が可愛いと思っているだけで、世間的には可愛くないとされてることだってわかっている。
だから変わってるね、珍しいね、そう言われないように〈普通〉な人間として振る舞っている。

私が好きなものたちを、好きだと堂々と見せている人が羨ましい。自分にはできないことだから、勝手に羨んで勝手に嫉妬している。
その人がどんな思いをしたか、どんな言葉を掛けられたかはわからない。もしかしたら、何か乗り越えた経験があるのかもしれない。

でもその大切な部分を全部見ないふりして、私と違って苦労してないから、なんて決めつけて一人塞ぎ込んでいる。

興味ないよ、知らないよ、と嘘をついてまでして、何を目指しているのかはわからない。
本当に好きではないものを持っていても、全然幸せなんかじゃない。

安心じゃなくて、幸せがほしい。

あの時、誰か1人でも、いいじゃん!って言ってくれてたら、また違ったのかな。

世間的に人気なものを、可愛いものを、かっこいいものを、そのまま受け止められる感性が欲しかったよ、私も。

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栖山 依夜
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