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THE FIRST SLAM DUNK:漫画が見開きに自由にコマ割りできつつ無限の視線誘導パターンを持っているのに比べ映画は基本一枚で見せるので心理説明のためのクローズアップやナレーションがリズムを停滞させる。
個人的にはかなり歪な仕上がりだと思った、流石に原作よまないと何も分からないのでは?アニメーション表現としてもっと尖った選択肢もあったかもだけど、おそらく井上雄彦としては「映画」を撮ろうとしたんだと察する。 漫画が見開きに自由にコマ割りできつつ無限の視線誘導パターンを持っているのに比べ映画は基本一枚で見せるので心理説明ためのクローズアップやナレーションがリズムを停滞させる。 漫画だと小さなコマかつ目由なレイアウトで選手のリアクションを圧縮して見せられるが、映画の場合は一枚ず
ショーイング・アップ:動物が被写体にいること、つねに構図に外部要素が在ること、唐突な美大風景も、大きなうねりを作らないことに貢献する
SHOWING UP (2022) 間違いなくフィクションの仕組みで作られているはずなのに、どこか映画が(自然な現象)として現れており、その営為が画面を見ることの充実をカラフルに満たしていく。 まだ全然つかめてないけど何を見せて何を見せないかの選択が極まっている気がする。安易に物語化もさせず、感情化もさせず、起伏のレンジが良い意味で狭い、だからこそ、微細な変化に目が行き届くようになる、そんな感じがする。 動物が被写体にいること、つねに構図に外部要素が在ること、唐突な美大
火垂るの墓:「火垂るの墓」がなけれは「風立ちぬ」もないだろう。地べたから鋭い眼差しを突きつけられている空の宮崎駿。高畑勲は地べたの作家なんだなと。
高畑勲「火垂るの墓」 序盤は芝居の解像度(結ぶ動きすご)律儀なアクションつなきを見つつ、敗戦すら知らない社会から切り離された存在の地べたでの生活を見る。遺体が置かれ理められ、虚空を見上げる為に仰向けになる場所、そして妹が動かなくなる場所としての地べた。 地べたの映画として「となりのトトロ」とのセット上映であることの太い文脈、1988年公開(昭和の終わり)の現代性。ジブリの気合いと作家の迫力。 「風立ちぬ」との呼応関係。「火垂るの墓」がなけれは「風立ちぬ」もないだろう。
フェイブルマンズ:つまりそれはカメラは人間を撮るだけの為にあるものではないんだよと、映画は人間関係の心理を撮るものでないんだよ、と言いたげなのである。
「フェイブルマンズ」面白かった。 この映画の文脈では地平線が真ん中にあることはアイレベル、つまり人間のまなざし、つまりは家族や友人にカメラを向ける自身のまなざし、の否定になるのではないか。 フォードの(まるで映画のような)言葉によっていかにも内的な葛藤を抱え人間に関心を持ち過ぎて近視眼的になった自身を否定=初期衝動(破壊への渇望)の肯定により人外交流エンタメ王スピルバーグの誕生をさらっと見せる、つまりそれはカメラは人間を撮るだけの為にあるものではないんだよと、映画は人間関
ザ・スーサイド・スクワッド 2:この何でもアリなアメリカ映画の最低限の良識として「子供を守る」をジェームズ・ガンがどんな意図で秩序だてているのか気づく。
「ザ・スーサイド・スクワッド 2」 唐突なタイミングで「子供を守るため」にと迫真性をまとい内なる意志を暴発させる登場人物たちをみていると、この何でもアリなアメリカ映画の最低限の良識として「子供を守る」をジェームズ・ガンがどんな意図で秩序だてているのか気づく。 序盤で溺死し終盤に脈絡なく蘇生する27人の子殺しとしての登場する醜悪にデザインされたモンスターはその扱いもデザインも経歴もジェームズ・ガンそのものだろう、そんな懺悔を軽妙に挿入しつつ、ここまで痛快かつ皮肉のきいた映画
半世界:半分になった世界を逞しく汗で埋めていく息子の姿をみて「自分で経験した世界」が入る為のスペースが誰しもいずれ必要になるかもと気づいた。
坂本順治「半世界」すばらしい。 稲垣吾郎の見るからに華奢な身体で表現する炭焼き職人の違和感は、いずれたどり着く悲しい結末で必然であることが示される。 国に仕える為に拳銃の訓練をする世界、市場経済的には閉じつつある炭焼き職人の世界、どちらも同じ世界の出来事である、とゆう身も蓋もない真実を地方の中年男性で描く誠実さに心からリスペクトする。 何が人を「殺す」のかへの答えを明確に「経済」とする監督の正しさを尊敬する。人物の魅力を存分に保ちながら、この複雑な寓意をエモーショナルに
ソウルフル•ワールド:猫へのリスペクト、ジャズへのリスペクト、太陽の温もりに時間を浪費し、グルーヴとともに身体を震わすことを恐れないこと。
ピクサーの「ソウルフル・ワールド」素晴らしい、しみじみと落涙する。 地に足ついた日常の肯定、目的を持つべき人生からの脱却、ステータス主義の否定、自己啓発中毒に陥っている人々をコミカルに風刺的に描きつつジャズとともに解放に導くその過程はテーマが前面に出すぎており、誰かを救う「薬」であろうとする事を少しも隠しはしないが、まったく子供向きじゃない病んだ物語に現実の世界がいかに病んでいるかを実感する。 なんだかんだ薬を作り誰かを救おうとするピクサーに感動。 猫へのリスペクト、ジ