第13話 相模の方(かた)様
巫女の一日は未明の水垢離から始まる。それは旅歩きをしている時も同じで、水で身体を清めたあと、巫女たちは組頭巫女の対面に正座し、祭文を復唱してから口授で教えを受ける。そしてようやく朝餉を食し、食事が済むと神事舞太夫はその日の口寄せ回りの予定を伝える。依頼がなく時間が空く時などは、こちらの方から飛び込みで家々を訪問し、今で言う訪問販売的な事をして仕事を取ることもままある。
翌朝、巫女らを集めた丸山伊織は、昨晩の祢津神平の指示通り、
「今日からは長坂長閑殿と跡部大炊介殿、それと小山田信茂殿のお屋敷周辺を重点的に回りなさい。あの辺りは戦で父親や子供を失くした家も多いと聞いた。よくご家族のお話を聞いて心を慰めてやるのだぞ」
と言った。そして智月に目を向けると、
「智月は躑躅ケ崎のお舘で相模の方様の所へ行くと話してあるから、それが終わってからでよい。くれぐれも失礼のないようにな」
と言った。
武田勝頼の妻(継室)は、甲相同盟の際、北条家から武田家に嫁いだ氏政の妹で、武田の家では〝相模の方〟と呼ばれていた。同盟の破綻によって孤立する形になった彼女を気遣い、勝頼直々の依頼で本日出向く事が決まっていた。
すると朧が、
「長坂様のお屋敷周辺の方は私に行かせて下さい!」
と自ら志願した。それを聞いて昨日から彼女の様子が気になっていたお雪は、咄嗟に手を挙げ、
「なら、私も一緒に行きます」
と同行を乞うた。巫女の口寄せ回りは必ずバディを組ませて行かせるが、二人の顔を見た伊織は〝この二人ならば安心だろう〟と判断し、
「それなら二人に任せよう。都会は何かと物騒だ。万が一のために」
と言った後、それぞれに護身用の小刀を持たせたのである。次いで智月と彩には清音と花を預け、彼女たちにも同じように短刀を持たせて一日が始まった。
躑躅ケ崎の舘に着いた智月たちは、〝相模の方様と面会する前に、知っておいて欲しい事がある〟と言われ、さっそく奥の広間の継の間に通された。そこにいたのは相模の方が北条家にいた頃よりずっと侍女として仕えてきた〝蘭渓の局〟と名乗る品のある老婆で、智月たちの顔を見るなり、
「お悼ましゅうてなりませぬ、何という天の悪戯でございましょう・・・」
といきなり涙を拭うのであった。彼女の言うには、
「武田に嫁いで早や五年────勝頼様とは仲も睦まじく、同じ木陰に宿り、ひとつ流れの水を汲んでおりますが、未だお子には恵まれませぬ。そうこうしている内に北条のお家と断絶。家臣の方々から〝何故まだここにいるのか?〟という顔をされ、勝頼様もそれをお気遣いなされて〝今の世の習いでは小田原へ帰る道もある。其方にとって幸せならば私はそれを望む。どうか心安く過ごせる選択をして欲しい〟と申されまして、私もそれが良いかとお勧めしているのですが、方様は一途に〝うたてき事を言うでない〟と申されます・・・私はもう不憫で不憫でなりませぬ────どうか方様のお心をお察し頂き、少しでも心安らぐようお慰み下さい・・・」
そうして奥の間に通された智月たちが見た相模の方は、上段の間にゆったり座り、朱の生地に翠の雲を模った打掛に、朱と翠の楓の葉をあしらった薄橙の袴姿────艶やかな長い黒髪はうっとりするほど美しく、このとき数え十七、
「信濃の口寄せの巫女とは其方らか?」
と涼やかなそよ風のように言った。
智月らは畳に深々と頭を下げたまま、
「左様にござります。今日はひと時のお時間を頂戴し、精一杯努めさせて頂きます。まずは口寄せの前に、稚拙ですが踊りを披露させて頂きたく存じますが如何でしょう?」
と言った。
「踊りか────久しく見ておらぬ・・・それは楽しみじゃ、やって見せよ」
相模の方がそう言ったので、智月は継の間に置いた荷の中から、当時ではまだ珍しい三味線と、横笛と鼓を持って来てもらって清音と花に渡し、自分は三味を抱えて撥で弦を〝ビンッ〟と弾けば、薄鼠の羽織を〝ガバリッ〟と脱ぎ捨て一瞬に艶やかな衣装に変じた彩が音楽に合わせて舞を踊り始める。曲は小田原で流行している〝舞々の天十郎太夫〟、三味線で今風にアレンジし────すると相模の方の瞳にみるみる涙が溜まり、やがて重みに耐えきれず、〝ポトリ〟と落ちて着物を濡らした。
「────お粗末にてございました」
踊りを終えて智月が言うと、相模の方は、
「今日来てもらったのは、勝頼様から其方らの話を聞いたからじゃ。死に人の魂を呼べるというのは本当か? 本当ならば呼んでもらいたい御人がおる。できるか?」
と言う。
智月が「なんなりと」と答えると、相模の方は思いの丈を静かに語り始めた。
「実は悩んでおります・・・北条と手切れとなった今、妾はここにいるべき人ではないのかと。袖触れ合うも他生の縁とかや申しますが、いっそ勝頼様の口から〝小田原へ帰れ〟と言われれば諦めもつきましょうが、分けて夫婦の契りも浅くなく、夫婦は生死を同じゅうすべしと思いながら、ずっとお慕い申し上げております。ところが周囲の視線はあまりに冷たく、侍女の蘭渓さえも〝今のうちに帰った方が良い〟と言います。しかし帰ったところでなまじ妾の浮名が消えるわけでなし・・・。呼んで欲しい御人というのは北条家の祖、北条早雲様で御座います。逢って妾はどう生くべきか、お聞きしたいので御座います」
この様子を見守っていた局や侍女たちは、方様の複雑な心境に同情しながらも、「本当に死人の魂を呼ぶ事などできるのだろうか────?」という疑いの空気を一瞬で作り出したが、智月は平然として、
「承知いたしました」
と答えると、清音と花に水を入れた茶碗を用意させ、外法箱の中から梓弓と榊の枯れ葉を取り出し例の祭文を口にして暫く、忽ち表情を豹変させると、
「我、北条新九郎早雲ナリキ。お前は誰じゃ?────」
と、俄かに男の声で語り始めたのであった。その声が、どことなく父北条氏康や、あるいは兄氏政と似ていた事に相模の方は驚いて、
「妾、北条家三代目当主、北条氏康が娘に御座います!」
と、叫びに似た声を挙げた。すると早雲の死口に成功した智月の口から、およそ次のような言葉が次々に飛び出した。
「わしが相模を平定した後、あの今川が滅び、甲斐の武田が勢力を伸ばし、栄枯盛衰、時代も随分と変わったものだ・・・お前は武田に嫁いだか。しかし先の命運はわしにも分からぬ。お前はお前の人生を生くがよい。言うならば便りがあるならそこへ身を寄せ、心やすく過ごし給え。しかし忘れ給うな! 我が北条家はわし早雲より代々弓矢の家であろう。その家に生まれた以上は〝女の身なれば〟とて甘えてはならぬ。女ながらも潔く生きるが坂東の女というものだ。不甲斐なくして生きて笑われてはならぬ。けっして恥を晒すでないぞ!」
そうして暫く語り続けたあと、智月はぐったりしたように身体を崩し、やがてゆっくり目を開けた。目の前の相模の方はボロボロと涙を流しており、智月が姿勢を正して襟元を整えると、相模の方は、
「ありがとうございました・・・ようやく覚悟が決まりました」
と呟いた。
このあと心づくしのもてなしを受けた後、智月たちは躑躅ケ崎の舘を後にした。
道を歩きながら清音が、
「智月さん、さっきの北条早雲様の口寄せは本当ですか?」
と聞いた。
「どういうこと?」
「本物の北条早雲様の魂が智月さんの身体に乗り移っていたんですか?」
「さあて、それはどうか知らん? 本物かどうかは本人に聞かないと分からないわ。私、何て言ってた?」
「坂東の女らしく潔く生きろって────覚えてないんですか?」
「へえぇ、そんな事言ってたんだ・・・案外本物かもね。口寄せをしている間は私自身、意識がないの」
「そうなんですか?」と清音が驚く。すると彩が、
「私は口寄せはできないけれど、〝無〟の境地にならないと他人の魂は巫女の肉体に入り込めないみたいだよ。でも、一つの身体に二人がいるってどんな感じだろう?」
と言った。智月は「そうね・・・?」と呟いて、
「それができるのは、ののう巫女の中でもお雪だけよ」
と言った。
「えっ? お雪さんってそんなにスゴイの?」
とまた清音が驚けば、
「私もお雪姉ちゃんみたいになれるかなぁ?」
と、チョコチョコ後をつけて歩く花は今年七つになっている。
「なれるわよ。たくさん修行を積めばね」
「ええ、修行ヤダ~」
笑う智月たちが向かう次の目的地、跡部大炊介の屋敷はそこから近い。
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ののうの野
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