【特別寄稿】妙木浩之|力動フォーミュレーションのグループを立ち上げて
私たちのコミュニケーションは、誤解や認知バイアスに満ちている。ウィニコットなら「錯覚あるいは脱錯覚の繰り返し」というのかもしれない。大森荘蔵なら虚想とかアニミズムというのだろう。でも専門家だから、困って患ってきている人の言うことをできるだけ忠実に映したいとは思う。で、専門家としては数回かお会いして、こちらの知見でおおよそ私たちが何をできるか、話し合いたいと思う。ただカウンセリングだと相手の言うことをそのまま映しても、本人が病気でやや視野狭窄を起こしているのだから、そのままでは知見とはならず、同じように視野狭窄な認識をするだけ、ということもある。その個人の在り方を、その個人特有の見方をなぞりながら、つまり個人症候群の全体を専門家的な言葉にしてみる。これが見立てだろうが、テイラーメイドの仕立てのように、彼/彼女のみならず、かかわっている専門家全体がしっくりくるような言葉を選ぶのはなかなか難しい。
見立てを構築するトレーニングのための『実践 力動フォーミュレーション――事例から学ぶ連想テキスト法』という本を出版した。もともと力動フォーミュレーション、つまり見立てを組み立てるためのグループをここ10年以上やっていて、本の編集をしてくれたのは、若手で力動フォーミュレーションのグループに参加してくれた小林(陵)・東(啓悟)のお二人の先生方。私が普段グループで行っている方法に、連想テキスト法という名称までつけてくれた。
このグループは、事例の概要をその場で見て、「見立て」てみるという作業と、事例概要を切片化して連想テキストから自分なりに見立てを構築する作業の2つからなっている。前者は1年に1回程度、自分の事例の概要を書いてくる。年に12回程度だから、1年に1、2回は自分の持っている事例概要を作る。これをグループで読んでみて、それぞれの人が見立てを構築してみる。「即見」というやつだ。
もう一つは、1年に1回程度、人が書いたテキストを切片化して、それに対して連想を書いていく。それをまとめて、連想テキストに対して見立てを立ててみる。後者の作業を小林先生が「連想テキスト法」と呼んでくれたのである。
連想テキスト法の起源は、フロイトの精神分析前期の分析手法にある。
フロイトは夢の分析のために、毎朝見た夢を記録して書き残した。その後、その記憶のテキストを切片化して、連想を広げていく。その膨らんだテキストのなかから連想内容の反復を発見した。最終的に最近の記憶と照合させる作業を含めて夢の解釈を行ってきた。この方法は今では要素分析と呼ばれているが、このテキストベースドな方法、現在の研究法から見れば、切片化と連想の拡張が重要だが、方法論は質的研究で常識的になってきた転写(トランスクルプション)切片化と、それを連想拡充作業とを組み合わせたものである。フロイトの『夢解釈』における膨大なデータは、もともとも夢が10倍ぐらいに拡張されているためだ。夢を書き言葉に転写するという、書字言語化、そして夢テキストを切片化してそれを分析するという発想は、その後もシュレーバーのテキストや狼男に応用されているように見えるが、精神分析の技法化が進んで、テキスト分析のほうが後退したので、この手法の現代性は見えなくなっていたように思う。私はこのテキスト分析は質的研究法の先駆的な業績に近いと思う。もっともフロイトには方法論の信頼性や妥当性という議論がないにしても。
現代の質的研究方法では、切片化をする立場とそうではない立場があるにしても、意味の最小単位まで戻って考えるという発想はフロイトと同じものであり、この技法を事例概要に適応してみるという作業を、①転写(トランスクリプション)②リフレクション(文字化したものを個別に熟慮してメモなどを残す)の二つ、それに加えて、事例概要を少なくとも二人から三人が前もってやってくるという作業に分解した。これは一人だといろいろな見方ができないためだが、③トラアンギュレーション(三角測量)をグループのなかで維持するためである。実際にやってみるとわかるが、この連想テキストを作る複数人の間で、意見が一致する事例概要とそうでないものがある。これは事例概要そのものが見立てを立てるのが難しいということなのだろう。二人以上の人が時間をかけて内省して、それについての連想テキストを書いてくる。それに対して、グループの大半の人は即見をしていることで、いろいろなことが分かる。即見している自分の「見立ての癖」のようなものが、自分が考えたアセスメントから見えることもある。連想テキスト作業の結果と、その場で事例概要を比較して、自分の見立ての癖が見えやすくなるからである。また、そもそもその場で開示される二人の連想テキストがまったく乖離してしまうような事例を通して、私たちが実際にアセスメントする場合に、どのようなことが、テキストの読み難さを生み出しているのか、と気づくこともあるからである。
最近読んで一番面白かった本がある。『会話を哲学する――コミュニケーションとマニピュレーション』という新書で、三木那由他さんという分析哲学者(語用論を拡張したグライスの専門家)の書いたものだ。私たちの会話・対話は誤解、というか錯覚に満ちている。それを説得力のある例から分析している。カウンセリングや心理療法を勉強していると、ある種の認知バイアスができてしまう。つまり傾聴して、その人が言おうとしていることを聞き取るのが、私たちの特化した技術で、言わんとする真実を受け取るのが私たちの仕事のメインだと思いやすい。だが三木氏は、私たちのコミュニケーションは当たり前のことを繰り返したり、あえて間違っていることを言ったり、何かを言うことで人を動かそうとしているといったさまざまな例を取り上げて、対話が意味の伝達、あるいは相手の気持ちを受け取ることであるという、私たちの職業的な認知バイアスを正してくれる。
逆に真実より、連想の広がりのほうが、私たちのコミュニケーションの豊かさを担保しているのではないか、そう思う。
力動フォーミュレーションのグループで思うことは、私たちの伝達、いや誤解や認知バイアスの多様な在り方、それをできる限り、自分の癖として意識できれば、とりあえずは、専門的な言葉でありながら、誰にでも伝わる言葉を増やしていけるのだろう。
【参考文献】
三木那由他『会話を哲学する――コミュニケーションとマニピュレーション』2022年、光文社
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画像提供:しぴ様 @cccccpsy
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