お餅が作りたくて
お正月に父方の祖母の家に行って、一緒にご飯の準備をした。我が家では毎年お正月とお盆に手作りのお餅が出るので、そのお手伝いだ。
お祖母ちゃんに色々と聞きながら、お餅をつく機械をセットしたり、ずんだや納豆の味付けをしたり、つきたてのお餅を一口サイズに分けたりする。そうやってお手伝いをするたび、私は本当に素敵な家庭で育ってきたんだなと実感する。
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お餅の機械をセットするのも、ずんだにお砂糖を入れるのも「え、これでいいの? 合ってる?」と逐一確認した。このお餅が失敗したら、昨日から水を吸わせていたもち米はムダになる。ずんだの味付けが「何か違う」ってなったらどうしよう。なにより家族みんなのお餅がかかっていると思うと、 失敗できないな、と。
そんなちょっとした緊張感を感じたとき、この味は、このお餅が出る我が家のお正月空間は、いつから続いているものなんだろうと考えてしまう。お祖母ちゃんは誰かに教わったレシピをきっと継いでいる。感覚的にもう染み付いたそのレシピを、私も受け継ぎたいと思って手伝っている。
一朝一夕でできるわけではないその料理を、誇らしく思う。最近手伝い始めた自分が、すぐにできるようになろうだなんておこがましい。まだまだつきたてのお餅の熱さにはなれないし、あんこだって挑戦できない。でもいつかきっと体得するぞ、と意気込みは忘れちゃいない。
山形に住んでいた曾祖父母の家に行って出された枝豆やトウモロコシの味は今でも忘れない。けれど、曾祖父母はもう亡くなってしまった。その味はもう食べられない。そのときの後悔を、またするのは嫌だ。そんな自分勝手な理由で、おばあちゃんの料理を学んでいる。
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作り手側として食べるお餅は美味しかった。みんなからも好評だったけど、味の調節ってとっても難しいなーと体感した。次は買い出しとか、仕込みから手伝うぞという気持ちになる。
ドンピシャ!な味を作るために、たくさん聞いて吸収しようと思った、穏やかなお正月でした。
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