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カレーに乗せた野菜の素揚げから考えたことを少々 | Jul.26


雲が切れて日が差したかと思えば、強い雨が降るめまぐるしい一日。
天気に逆らっても合わせても、今日などは振り回されるだけだと割り切って、済ませなければならない用事を片付ける以外は、ひたすら読書に興じていた。

こう天候が不順だと、野菜の値段はすぐに上がる。
近所のスーパーマーケットに入っても、平積みされている野菜の棚も、冷蔵棚も、このところは高値で安定したままだ。
田舎で暮らす母にそんな話をしてから数日立って、宅配便で野菜が送られてきた。ナスにきゅうりにジャガイモに玉ねぎ、大葉にオクラにゴーヤにピーマン。どれも母親が実家の畑で作っているものばかり。
縁側からサンダルをつっかけるだけで食べ物が手に入る。歩いて5分でスーパーマーケットがあることと似てはいるが、東京で生活するということが、いかに脆弱であるか、宅配便の箱ひとつで痛感する。

コロナ以後、リモートワークやら時差通勤やらが当たり前になった。
ネットワークが距離を無意味にできるようにもなった今、もはや東京に集まっている、東京に集まってくること自体が、ナンセンスになった。
いまさら東京に来たところで、いいことなんて数えるほどしかないんじゃないかと思うのだけれど。それでも何故か皆、東京を目指す。
わけがわからん。

今日は届いた野菜を素揚げして、カレーに山盛り乗せた。
新鮮な野菜はやはりひと味違って、滋味深く、美味しい。
田舎は田舎の面倒くささがあって、僕みたいな性格には向かないような気もするけれど(山奥で隠遁生活をするならともかく)、東京の便利さと田舎の豊かさ、良い生活というのはどちらにあるんだろうなと思うのだった。
両者をブレンドするのが、きっと最も良いのだろう。
でも、何かにつけ密かに対立構造にしたがる日本的精神風土は、ブレンディングなどということには目を向けない。

日本人は中庸を好むなんて、まったくの大ウソだ。
周りの顔色を見て、意見をはっきり言わないだけで、心の中、本音、公にならないところでは区別も差別もしまくっている。
これまで社会がどうにか回ってきたのは、それを押し隠していたからで、最近はそのタガすら外れてきてしまっている。

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樹 恒近
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