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再びnoteの使い方を考える

まとまった文章(論理的であるということも含めて)を書くのはやはり消耗度合いが大きい。
かといって書く場所がまったくないのも退屈だし、モダンなツールを便利に使っていたい気持ちもある。
物語を作ることと、雑文、随筆を書き連ねることは、「文章を書く」という行為が共通しているだけで、ベクトルの向きはまるっきり違う方向を向いているように思う。
正反対というのならまだマシなのだが、三次元的に違う方向を向いてしまっている感がある。
持論でもある「1日に費やせる言葉の総量は決まっている」という原則が正しいとしたら、やはり論理的な文章を目的も最もなく書くことは、やはりただの消耗でしかない。
諸々検討した結果、noteを落書き帳のように使ってみることにした。
物語の破片であろうが、使い途もわからない宙に浮いたようなフレーズだろうが、会話の一部分だろうが、メモがわりに書いておく。
そうすればnoteに何かを書くことが合目的化することもない。
一石二鳥だ。
というわけでなんだか全然わからない文章が並ぶことになるんじゃないかと思います。遠路はるばる読みに来てくれる方には迷惑千万なのかもしれないけれど、意味不明のメモが並ぶのは、僕にとっては良い兆候ということでご容赦いただければ。何と言っても「読まない」という最強の武器を持ってらっしゃるわけだし。
とはいえ区別はつくようにしておいた方が良いと思うから(その程度の良心は僕にもある)、タイトルの頭に「●」でもつけておくようにしよう。
「●」を見たら、「ああ、これは読む価値ゼロだな」とわかるようにしておけば、誰かの人生を無駄遣いさせずに済む。

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